ミルクの未来を考える会
第5回小さな牛乳屋が目指す、“ニュー”ソリューション
1. CRAFT MILK STANDを作るまで

東京・吉祥寺で牛乳販売を行っている武蔵野デーリーの木村と申します。3年前に全国の牧場の牛乳を販売するクラフトミルクスタンドというお店を立ち上げたのですが、今日はその活動について少しお話しさせていただきます。
私たちのスタンドは、もともと倉庫だった小さなスペースでやっていますが、全国の牧場を回って集めたミルクから、毎月3~4種類の牧場の牛乳をセレクトして販売しています。カップで飲んでいただいたり、飲み比べをしていただいたり。ほかにも、牛乳をいろいろアレンジしてお出しすることもあります。

基本的には、カップに注いでその場で飲んでいただくスタイルです。今までに国内の200カ所以上の牧場を回っていて、そこから「この牧場の牛乳はおいしいな」と思ったものを、牧場単位でセレクトして販売しています。
本当に小さな牛乳屋で、こうして皆さんの前でお話しするのも恐縮なんですが、もともと広告会社にいていろんな業界を経験してきた人間が、どういう思いでこの仕事をしているのか。その背景も交えながら、包み隠さずお話しできればと思っています。

今は広告会社の関連会社にいます。仕事の多くが復興支援に関わるものでして、自分でも社団法人を立ち上げて、ボランティア活動向けの保険をつくったり、復興支援の基金を運営したりして、いろんな地域の復興のお手伝いをしています。そんなことをやりながら、5年ほど前に高齢化した父親が行ってきた事業を一度閉じて、新しく始めたのが、今日お話しするミルクスタンドの取り組みです。
短いながら色々なことをやってきましたが、特に社会課題の解決につながる取り組みに興味を持つようになりました。そこから牧場巡りなどを通じて、酪農の魅力や課題にも触れ、今の牛乳スタンドにつながるきっかけになったと思っています。
温泉施設でよく見かける牛乳の自販機の礎を父が築いた

牧場巡りを始めたきっかけは祖父が牛乳屋を始めたことにあります。当時、銀座にあった乳業メーカーに祖父は入社しました。もともと体が弱く、牛乳を飲みたいけど当時はなかなか手に入らない。だったら牛乳屋に入っちゃえ、ということで新潟から上京しました。その社長の娘と結婚して「吉祥寺で牛乳屋をやれ」と言われて始めたのが、うちの家業のスタートです。
初期は牛乳を地域に配達をしており、従業員も10人~20人ほどいたと聞いていますが、父の代になって思い切って業態転換をしました。自販機で牛乳を販売するスタイルです。当時は先駆けでしたがいろいろ問題もあったようで、牛乳だけでは厳しいということで、飲料メーカーの下請けのような仕事もするようになり、事実上そちらがメインになっていきました。それでも、自販機で牛乳を売ることにはこだわって頑張って続けていたようです。
牛乳嫌いからの転機は一冊の本

自分は父に牛乳をすごく飲まされていたのですが、正直、牛乳が大嫌いでした。とにかくおいしくないと思っていて、学校では毎回残して友達に飲んでもらい、家でも毎回拒否。ヨーグルトだけは食べてましたけど牛乳を一切飲まない子どもでした。
ずっと嫌いだったのが20代後半になって、あるきっかけで牛乳が飲めるようになりました。それが父が貸してくれた「牛が拓く牧場」という本をたまたま読みまして。もともと自然の循環とか、そういう仕組みに興味があったので読んでみたら面白くて。
そのころ北海道へ行く予定ができて・・・

北海道へ出張に行き訪れたのが旭川の斉藤牧場です。5~6月の草が生え始めた頃で、本当に理想郷のような美しさで「すばらしいな」と思いました。
2代目の方に「とりあえず手伝ってみたら?」と言われ、牛乳配達のトラックに乗せてもらったり、小さなジープで牛に突っ込むというワイルドなスタイルの牛追いも体験させてもらえて非常に面白かったです。
その時に飲んだ牛乳が忘れられない

先代の斉藤晶さんは開拓民として入ったのですが、若かったこともありいい場所をもらえなかったそうです。山の上のほうをあてがわれ、「人間だけじゃ限界がある」と考え、焼き畑と牛の力を使って放牧地をつくる蹄耕法(ていこうほう)という独自の方法を編み出しました。
その考え方にすごく感銘を受けました。手伝いながらいつもパンと牛乳を出してくれましたが、それが本当においしくて。「牛乳って、こういうものもあるんだ」と初めて思えた瞬間でした。
自分は放牧のミルクと相性が良い

それ以来、全国に出張に行くたびに牧場を訪れるようになりました。道の駅で牛乳を買いながら、自分は放牧のミルクと相性が良いことに気づき「放牧」と名のつく場所にいろいろ行くうちに、気がついたらたくさんの牧場をめぐっていた、という感じです。

特に印象に残っているのが北海道足寄町にある「ありがとう牧場」です。牧場主の吉川友二さんが本当に素晴らしい方で、残念ながら最近お亡くなりになってしまいましたが、一番多く通った牧場です。本当にきれいな牧場でした。当時、放牧がいいと思って牧場を訪ねていましたが、放牧をしていない方のほうが多数なので、放牧にもデメリットがあるといった話もたくさん聞きました。でも勉強不足だったので、どこがいいのか悪いのかよくわかりませんでした。
どこの牧場をとっても、みんな違う

そんな中で「放牧をやっていても、人が大変だと、それだけでやめちゃうんだよね」と吉川さんが仰っていて、すごく腑に落ちたんです。だからこそ季節繁殖(季節ごとに計画的に牛を出産させて冬は人間も休めるようにする)という方法を取り入れておられて「うちは冬に海外旅行にも行くよ」と。それを聞いて、ちゃんとやり方を工夫すれば放牧でも持続可能なんだと牧場を見る視点が変わり、もっと深く知りたいと勉強もするようになりました。そうすると牧場主の方々から聞ける話もどんどん面白くなっていったんです。
生死に向き合っているからこそ哲学がある
自分が訪ねた牧場の多くが自由奔放で、みんな言うことが全然違うんですね。牛の話ばかりする人もいれば、ずっとうんちの話しかしない人もいて。なかには「堆肥を食べてみろ」なんて言い出す牧場主もいて、もう本当に個性豊かで、話を聞いているだけで楽しい。彼らは牛という生き物の生死に向き合っているからこそ哲学がある。そういう体験を通して「牛乳って、味だけで語るんじゃなくて、ストーリーとセットにすることで、もっと価値が出せるのでは」と思い始めました。それが、今の事業の原点のひとつになっています。
CRAFT MILK でビジネスができないか妄想し始める

大学時代にイギリスにいたことがありまして、イギリスではオーガニックカルチャーが日本よりもずっと進んでいました。当時からクラフトミルクという言葉が使われていて、住んでいた近くにも偶然オーガニック牧場がありました。そこでは「うちはクラフトミルクだよ」と言って牛乳を飲ませてくれて、それが面白かった。その体験と、さきほどの放牧の話が、頭の中で自然とつながっていき「じゃあ日本でもクラフトミルク的な発想で、放牧のミルクを使ったら面白いんじゃないか」と思うようになりました。それが今の事業を立ち上げる少し前の、自分の中での整理だったと思います。
父親の高齢化という問題に直面

父は76歳でトラックを運転していて、さすがに高齢者の運転は危ないと家族は思っていましたが、家族の懐事情を考えると簡単に仕事を止めてとは言えませんでした。何よりずっと働いてきた父に対して軽々しく「やめた方が良い」とも言えず、何か別の形で父が無理なく働けるような方法はないかと考えていた矢先に、父が交通事故に遭いました。幸い大きなケガではありませんでしたが、それがきっかけで前から少しずつ話していたクラフトミルクの構想を父にしっかり伝えました。それがCRAFT MILK STANDの始まりです。

スイスの牧場でチーズを食べる前に一回ミルクを飲ませてもらった体験を、ありがとう牧場の吉川さんから教えてもらいました。ミルク缶からレードル(おたま)で注がれたミルクが出てきて、すごくかっこよかったと。うちのスタンドでもミルク缶を目の前に置いて、そこから注ぐスタイルにしました。そうすると父も腰を痛めずに済むし、やり方としてもちょうどよく「これならいける」と思って、今のスタイルができあがりました。







