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第92回 家族経営酪農の現状と未来に向けた課題

牛乳・乳製品から食と健康を考える会 開催

- 牛の糞尿処理を、地域資源循環への取り組みに -

本州の酪農は、北海道の酪農とは少し違う。どの様な餌をあげてどうやって牛を飼うかという点で、本州の酪農で、うちの様な秩父の山の中の酪農は、少し変わった酪農であるかもしれないが、本州全体を見てみると、結構うちの様な牧場は少なくないと思う。

一体どの様な牧場なのかということで、経営の特徴からお話しする。まずは、地域資源循環型の農業への取り組み。畑がない酪農、餌を作らない酪農ということで、輸入の牧草など、手に入るものを牛にあげると、一番に問題になってくるのは実は糞尿の処理。父親から後を継いだ時に一番悩みだった。朝起きると2tのダンプに牛舎の糞尿が一杯ある。それを畑に持って行き開けてくる。雨の日でも雪の日でも365日。雨が降ると畑に入ると動けなくなったり、特に一番嫌な仕事で、何としてもこの糞尿処理を上手にやらないと農業が酪農ができなくなるなと思い、何とかこれを解決しようと思った。

一番先に考えたのは、何とかこれを自分で使うのではなくて、近隣の野菜農家さんに使ってもらおうということを考えた。小鹿野町は幸いキュウリの栽培が非常に盛んで、キュウリを毎年同じハウスで作ると、土が痩せてくる。痩せてくるとそれを補うために化学肥料をあげたり、化学肥料をあげていくと土の力が弱くなっていって、野菜もおいしくなくなる。収量も減っていくというような状況が生まれることが分かった。何としてもその人たちに使ってもらうにはどうしたらいいかということで、堆肥を作るから使ってほしいと農家にお願いに行った。

ほとんどの野菜農家は堆肥はただ。ただどころかお金をくれるならもらってやるよと。その頃は非常に酪農家も多かったので、どちらかというと堆肥をただみたいな値段であげたいと言っても、本当に売るのかとよく言われた。それで糞尿処理をしっかりしないとこの先がないので、いろいろ考えた。秩父の場合キノコも有名で、菌床栽培がその当時始まり、栽培が終わった後の菌床を糞尿と混ぜて堆肥を作ったらどうかなということで作り始めた。一番先に使っていただいたキュウリ農家は今でも忘れないが、持っていった時に一生懸命作ってきたからお金を払うよと言われて、2t車のダンプで1台500円で堆肥を卸した。初めて売れたのは今でも覚えていて、とてもうれしかった。

その後、その農家が色々使った経験を広めていただいて、結構多くの農家に使っていただけるようになった。どんな堆肥が良いか、そしてハウスの目の前までダンプで運んでそこで開けて、ハウスにすぐ入れるようにしたり、色々な工夫をして堆肥を使ってもらうことを考えた。同時に、その頃イチゴが始まった。イチゴも非常に土づくりが大事で、イチゴ農家は若い人が多くて、その若い人たちと一緒に土づくりのために堆肥を作って、それを販売することをやってきた。当時は堆肥は売り物には絶対にならないと言われた。今が堆肥のシーズンであるが、ここ数年は堆肥が全然足りない。我々酪農家が減ってきて、野菜農家は比較的そのままの規模でいるので、今はどちらかというと堆肥が足りない。しかし、堆肥を作るためには莫大な色々な設備投資費用が掛かるが、我々が酪農を続けていくため、地域に残っていくためには、地域の人と一緒にやっていかなければいけないなと思っている。

今は、ジャガイモのシーズンで、家庭菜園でも堆肥を入れるとおいしいジャガイモができるのが非常にブームになっていて、頼まれて持っていく。今は宝の山みたいに思っている。堆肥を持っていくと、その当時500円だったのが、今は1台7,000円。本当に時代は変わり、一生懸命やってきて良かったなという気持ち。

- 牛が食べるえさの、安定調達方法と風味 -

糞尿の問題は何とかなり、次に問題になるのが、餌。昭和40年当時は、まだ餌も安くて、海外から輸入した餌をあげても当然採算が合った。ただ、為替の変動とか、例えばトウモロコシをエタノールという燃料生産に使うとか、そういう中で価格が上がって、買った餌で牛乳を搾るというのがかなり厳しくなってきた。国は自給飼料を増やせば良く、畑があるのだから、そこで飼料作物を作って、それで牛乳を搾れば安定経営になると言う。しかし、牛は沢山餌を食べ、要するに広い面積で大型機械でやっていかないといけない。昔のようにかごを背負っていって、草を一杯積んで帰ってきて、与えるような酪農はもう出来ない。機械を使うためには広い土地が必要だが、秩父にはそれがない。

糞尿の処理がうまく行って、やっと酪農が地域の人に認められているのにやめなければならないのは非常に残念だったので、ここ数年ずっと考えていた。それがエコフィードである。今日も色々餌を持ってきた。餌の中の大体6割は輸入の牧草とか、稲わらになる。残りの4割を色々なもので補えないかと考えた。

最近与え始めたのがパインナップルのかすで、パイナップルを昔は丸ごと買って、それを切って家庭で食べたが、今はスーパーに行っても丸ごとのパイナップルはどこも売っていない。スーパーがカット工場を持っていて、きれいにカットして、食べやすい形にして消費者に提供する。ゴボウもそうで、スーパーに行くと、結構ゴボウは切ってあったり、使いやすい形になっている。それはカット工場で作っている。セブンイレブンで、今一番売れ筋なのはカット野菜。レタスも丸ごと買わずに洗ってあってすぐに食べられるカット野菜を使う。あとは小豆。年末になるとおしるこや色々な小豆の需要が増える。作った後には必ずかすが出る。野菜を買って、出たくずを家庭で堆肥にしたり、色々な生ゴミ処理していたものが、今はほとんどなくなって、カット工場から来る。

しかし、カット工場も困る。カット工場も莫大な費用を掛けてそれを処理していた。それをうまく利用できないかということで、脱水をして真空パックにした。そうすることによって人間が食べれないところ、ゴボウにしてもパイナップルにしてもモヤシにしても大体牛が食べている。

色々なものを使って、餌代を節約する。それがおそらく土地を持たない私達の様な酪農家の生きる道と思っている。今では、25種類以上の餌を混ぜていて、牛に与える。それがTMRと呼ばれる餌になる。何故TMRにするかというと、牛はとても頭の良い動物で、とても上手に使う舌を持っているので、バラバラに与えると間違いなく選び食いをする。おいしくないものは食べない。パイナップルは大好物で、与えるとパイナップルばかり食べる。

そうなると、牛乳の味が変わってくると思う。それは一番やってはいけないことだということ。牛乳は本来いつも同じような味で、牛乳本来の味でなければいけない。そして何よりも牛の健康を害する。それをやっていたら、昔のかす酪ということになる。実はこれ、あまり新しい技術ではなくて、昔はかす酪というのがあったのだそうで、色々な豆腐のかすを集めて牛を飼う酪農。これが本州の酪農としてあった。牛の健康を害し、ひと腹搾りと言って、産ませて1回だけ、1産しか取らない。そういう酪農が昔はあった。今はそれができないので、うまく考えて、上手に使っていくためには食品残渣を脱水して真空にする。そして、多分3週間位もたせて、牛に与えられる様に調整する。同時に選び食いが出来ない様に25種類の餌を混ぜて、そして長さが違うと選び食いをするので、長いものは切れるようにカッターの付いたミキサーで混ぜる。栄養計算をして、いつも同じような餌を与える努力をする。それにより、飼料代を大きく削減が出来ないか考えている。

人間の食べたかすを食べている牛は可哀想だと思うかもしれないが、牛は人間が食べることが出来ないものを、人間が飲める牛乳に変えたり、肉に変えたりということが、牛を飼う本当の意味だと思う。人間が食べるゴボウやモヤシが捨てられて、それを土に返すために莫大な費用が掛かるならば、牛に食べてもらった方が絶対に良いと思っているので、エコフィードに挑戦している。

- 地域社会とつながり、そして貢献できる業態を目指して -

色々なことをやってきたが、ログハウスを作ったことが、地域社会への貢献だと思っている。秩父はあまり知られていないが、観光地で、観光客が来る。観光客が来た時に、牛が外にいるのを見て、牛乳飲みたいとよく言われた。イチゴは観光イチゴで、イチゴ狩りに来るお客様。あとは札所巡り。秩父には札所があり、札所巡りに22万人位のお客様が来る。秩父に来た時に、あそこで牛乳が飲めるとか、あそこでアイスクリームが食べられると言ったら、それは観光として良いねと色々な方に言われて、一緒にやろうということで平成4年にジェラートづくりを始めた。

自分の牛乳、イチゴだとかブルーベリーとかプラムとか、地場産の果物を使ってジェラートを作り、自分が売った堆肥で作った野菜を置いて、消費者の方に買って頂くということを始めた。当時は、6次産業化や、農家が商売するということはあまりなかったので、非常に注目頂き、沢山の方に来て頂いた。その頃から基本的に曲げないでいこうと思ったことが一つだけある。それは今の6次産業化は、とても大きく異なる。でも、何故これをやるかというと、秩父に来てほしい、もっと言えば自分の牧場に来てほしかった。だから道の駅にアイスクリームを卸すとか、作った製品をどこかに卸すということではなくて、うちの牧場に来て、牛を見ながら牛乳を飲んでもらい、ジェラートを食べてほしいということで、従業員を雇う。売れるからと言って規模拡大を提案されたり、色々な飲食店からオファーもあった。ジェラートを売ってあげるから作れと言われたが、多分本業が疎かになるだろうと。農業は片手間でできる仕事ではないと思うので、頑なに自分のところだけで売る。家族だけで経営をするというのをやってきた。

有り難いことに3世代が元気で、妹も家にいて、人手のある頃はそれが可能だった。時代が進んで、祖父母が介護が必要になり、農業も規模拡大をしていかなければいけない。そうなると中々人手が足りなくなって、残念ながら25年間、ログハウスでジェラート屋と農産物の直売所を行なったが、今は2年ほどお休みをしている。これは失敗談で、本当はもっとうまく経営をすれば、もっと皆さんにおいしいジェラートや牛乳を供給できるお店になったが、方向を少し間違ったのかなと思う。出来れば地域の人と一緒に色々なことをやって、地域に人を呼んで、色々なことをやっていきたいということの中で始まったことだったので、しばらくお休みをして、また良いアイディアを出して頑張ろうと思う。