埼玉県秩父小鹿野町の酪農家3代目の吉田です。日本の酪農は、まだ本格的に始まってから長い歴史があるわけではなく、私のような後を継いだ者は3代目が多いと思う。毎日牛乳を搾って出荷し、子供達に牛乳を飲んでもらっている現場の気持ち、今まで感じていることを含めてお話する。途中ビデオ等を見ていただいたり、実際に牛が食べている餌のにおいも感じていただいて、現場の雰囲気を味わっていただければと思う。
- 家族経営の酪農家としての、現状とスタイル -
今、非常に酪農の形態が変わりつつあり、私達の様な家族経営が一体今どうなっているのかをお話する。
まず、牧場と言うと北海道の広い草原とか、トウモロコシの畑とかを思い浮かべるかもしれないが、私の住む秩父は非常に山が急峻で、大型機械で飼料作物を作ったり、牛の餌となる牧草を作りにくい状況である。そういう中で、乳牛を70頭。うち経産牛が50頭。牛は2年たたないとお産をしないので、その育成牛が20頭。経産牛が50頭いると、その牛が毎年お産をして、子牛が生まれる。今、子牛には黒毛和牛と言って肉用の牛を種付けすることが多い。それで生まれてくるのがF1(一代雑種牛)と呼ばれる。または、和牛の受精卵移植ということで、黒毛和牛のお母さんから受精卵を取って、それを乳牛であるホルスタインに移植する技術があるが、それから生まれた和牛を飼ったりしている。一応耕作面積は3haあるが、ほとんど傾斜地なので、畑の作業をすることがなかなか出来づらい場所でもある。
普通の酪農家と少し変わっているのは、子供達の前でお話しする食育活動をやっていることである。また、広い畑があれば牛糞をそのまま畑の肥料として使えるが、それを持たないので、一体どう解決していくか就農、農業を始めた当時から課題なので、その辺を含めてお話する。
3代目なので、一体どの様に牧場が出来てきたかを、話すと、現在妻と息子が1人。息子は今大学2年生で秋田にいて、それと両親の5人家族。労働力は4名だが、両親も80歳を超えているので、労働力と言えるかどうか、肥育牛の世話で、お肉になる牛を管理している。私と妻が酪農担当で乳牛の面倒を見るというのが今のスタイル。
牧場の始まりは、昭和21年に祖父が牛を導入したのが最初。その頃は牛乳を搾るためではなく、畑を耕したり、あとは何よりも秩父の畑は痩せているため、肥料が欲しいので、田んぼの周りの草を刈って牛にあげて、糞はそのまま肥料にする。当時は、養蚕やたばこの栽培を一生懸命やっていた。
父が昭和28年に、酪農を専業でやりたいということで、酪農部門を徐々に拡大した。当時は、今の様な牛乳の取引ではなく、乳業メーカーから非常に手厚い支援をして頂いた。獣医を派遣してくれたり、色々な餌を世話してくれたりしていた。その後、東京オリンピックが終わり、昭和40年くらいから高度経済成長期で牛乳を求める声が非常に多くなって、酪農を専業として牛を増やしていった。
牛を増やすに当たり、牛が食べる草はそれまでは田んぼの草とか畑の草を自分で刈って与えていたが、頭数が増えてくると、輸入の乾牧草などを与えるようになった。生産が伸び、昭和61年に私が就農し、まず一番最初にやったのは、堆肥舎の整備と第2牧場で、肉牛部門をやりたいということで始めた。
その後、色々親子関係で問題があり、違う仕事がいいかなと思い、長野の方にログハウスづくりの勉強をしに行き、半年ほどログハウスづくりをした。その頃から牧場にログハウスを作って消費者交流をしたいということで、アメリカからログハウスを輸入して売店を作った。今で言うと6次産業化という言葉で簡単に表現ができるが、当時は、その言葉もなく、なぜ牧場で酪農家がお店みたいなものをやるのか、とよく言われた。それでも自分の搾った牛乳でジェラートを作り、そのジェラートの副原料にも地元の果物を使う売店を始めた。
平成19年に、牛舎が古くなったため、借金して牛舎を移転し、現在の規模になった。実際にどの様に牛を飼い、今の牛舎がどんな感じなのかビデオで見ていただく。牛のお産のシーンもある。
- 牛舎の様子と、牛の出産 -
アメリカから輸入したログハウスで、売店がある。とても急峻な山で、猫の額ほどの面積だが、牛が外に自由に出て放牧ができるようになっている。牛を縛って飼っていなくて、みな自由で、朝6時になると、搾乳のところに集まってくる。
ミルキングパーラーの中に、一段低いところがあり、そこで待っていると牛が歩いてきてくれる。これミルキングパーラー方式と呼ぶ。牛は1日2回搾乳し、優秀な牛は自分から入ってきて、前に詰めて搾ってもらう。搾乳の前に乳頭を消毒し、ディッピング呼ぶが、イソジンの様な成分で乳頭をきれいにし、刺激する。刺激により、幸せホルモンと呼ばれるオキシトシンが脳から出て、徐々に乳を出す感じになる。乳頭をペーパータオルできれいに拭いて、ミルカーを付ける。
牛の乳頭は4本なので、4つミルカーを付ける。搾乳はあっという間に終わる。大体5分から長い牛でも7分から8分ぐらいで終わる。6頭ごとに終わり、前の扉を開けると牛が出ていく。後ろの扉を開けると次の6頭が入ってくる。搾乳をするためには、牛がお産をしなければならないが、ビデオに撮ってある。牛もベテランになると、人間にブラッシングをしてもらうとか、お産の前に優しくしてもらうことは当たり前だと思っているのではないかと思う。
牛は繋がずに、人間が寄っていって、背中をかいてあげると静かにそこで待っている。ベッドにはおがくずを敷き詰めてあり、自由に寝ている。
日本では、牛は、98%ぐらいが人工授精で生まれるので、人工授精をした日が分かると、出産予定日が分かる。出産予定日が近付いてくると、牛の様子を見る。この撮影をするために2晩産むかなと思って待っていたが、なかなか産んでくれない。ついに朝方出産が始まったが、いつもと違う感じがしたので、手を入れると牛の足に触れる。子牛の前足か後ろ足かが分かる。逆子をそのまま自然分娩で待っていると、先にへその緒が切れて、窒息死する場合があるため、人間が介助することになる。昔は、ロープを付けて何人もで引っ張ったが、今はとても良い機械があり、1人で分娩の介助ができる。
デンマーク製の道具で、牛の足にチェーンを付けて、人間が1人でお産の介助ができる。力任せに引っ張るのではなくて、母牛が息むのと同時に引っ張ってあげる。呼吸ができるかをまず一番先に見てあげる。
牧場によっても違うが、うちの牧場では生まれてから24時間親と子は一緒にいる。誰が教えるわけでもないが、心臓から遠いところから心臓に向かってペロペロなめてくれる。牛は、分娩後30分とか40分ぐらいで立とうとして一生懸命立つ努力をする。
あまり親と一緒にしておくのはかえってかわいそうだという話もあり、うちは24時間一緒にするが、かなりの酪農家では生まれるとすぐに親と子を分ける。一緒にいる時間が1時間でも長ければ長いほど、離した時のストレスが大きいと思われる。産んだらすぐに離してあげた方がいいという酪農家の人もいて、色々な考え方がある。
牛は群れで生きる動物なので、生まれてすぐに立てないと群れから置いていかれる。放牧しているところでは、外で生まれて、立てないとすぐにカラスにやられる。それで、すぐに立たせて後を付いていくことになる。目はすぐには見えないと思う。だから鳴き声とか親がなめてくれるとかで感じる。
牛ってどんな牛でも乳を出すんだよねという消費者の方って結構多い。しかし、命懸けで母親がお産して、それで子牛を育てるために乳を出すということを、この様なビデオを見ると実感も湧くかなということで、学校に出向くとこのビデオを子供達に見てもらっている。