今回の制度改革は、いくつか特徴があるが、まず一つ目が通常の農政改革とは全く異なるやり方で実施されたということ。酪農に限らず最近の農協改革、あるいは農業以外の教育分野などでもそういうやり方でやっているようだが、官邸主導で改革をやった。特にこの指定団体制度改革はその典型的と言うか、かなり露骨な形で行われた。直接的には規制改革推進会議主導で進められて、酪農の制度なので本当は農林水産省が責任官庁のはずだが、農林水産省は実質的に改革にほとんどタッチできない形で改革が進められた。
農業で一番大事な法律に食料・農業・農村基本法という法律があるが、その法律に基づいて政策審議会があり、農業に関する政策を変える場合は必ず議論する。政策審議会で議論する中身は、指定団体制度を始めとする補給金の制度のことも議論するとはっきり書いてあるにもかかわらず、実は政策審議会では、今回の改正畜安法も含めて、指定団体制度改革に関する議論が行われていない。ここをスキップして、いきなり国会に法律を出して変えるというすごいやり方が行われている。つまり、通常行われるべき法的・制度的手続きは無視された。一応規制改革推進会議で有識者の方々でいろいろ議論はされているが、議事録を見れば分かるが、もう結論ありきの一方的な議論が行われていて結構ひどい。酪農家とかいろいろな関係者の意見は聞いているが、ごく一部の人たちだけの意見を聞いて改革が進められているという、そういう印象を受ける。
二つ目の問題が、目的がはっきりしないということ。なぜこの改革をやるのかが実は曖昧で、しかも一貫していないという非常に重大な問題。政府なり規制改革推進会議がなぜこの指定団体制度改革をやるのか、一応説明はしているが、これが今年の5月に出た第1次答申で、「酪農家が出荷先を自由に選べる環境の下、経営マインドを持って創意工夫しつつ所得を増大」するためにやると言っている。酪農家が出荷先を自由に選べるように改革すれば所得が増えるとの理屈だが、そもそも今でも自由で、この辺を前提としてもいろいろ問題がある。
別の問題もある。例えば酪農家の販売の選択肢が自由になれば、今は農協に出荷している人が、農協以外のところに出荷するようになれば、別の言い方をすると、生乳販売を巡る競争が活溌になれば、なぜ所得が増えるのかということに関して、具体的な記述はない。自由に選べるようにすれば所得が増えるとしか言っていない。実際の今年の5月、6月の国会審議でも特にこの点が問題視された。なぜ所得が増えるかというのを実は政府側も十分に説明できていない。私も農林水産委員会で意見陳述をしたが、与党側の参考人もこの辺は明確に答えられなかったと言うか、それで所得が単純に増えるとは言えないのではないかとまで言っていた。
この辺が非常に不可思議なところで、なぜこんなことになっているかというと、一般的に改革というのは、現実に何か問題があるので、この問題を解決するために改革は普通行われるが、今回の場合は現実に大きな問題がないにもかかわらず、改革そのものが目的としか思えないわけである。
この間の他の農協改革の経緯を踏まえると、農協共販を国の政策として、優遇している現在の指定団体制度をとにかくなくして、生乳販売における競争を強化することが今回の改革の目的だったのであろうと思う。普通は目的があって改革するのが、要は目的がなくて、改革したいということ自体が目的だったということだと理解する。
改革の中身が、主に二つ。一つ目が補給金の交付要件から指定団体共販への参加が除外される。今までは指定団体に出荷した酪農家にだけ補給金を払うという仕組みだったのが、これからは指定団体に出荷していない酪農家にも補給金を払うように変わる。要は、指定団体とその他の販売選択肢とが政策的には同等の扱いになるということで、これは実質的に指定団体制度が廃止されたということ。政府として指定団体共販に酪農家を集めることはもうやめるということなので、廃止と言っていいのではないかと思う。
あとは現行の全量委託原則の廃止というのがあり、今の農協と酪農家の契約は、基本的に酪農家の生産した生乳を全て指定団体に出荷するという内容になっている。これは全量委託と言うが、生産した生乳を全て農協に出荷する仕組み。来年4月以降は部分委託もできるようにする。今までは農協に出荷する場合は、全部農協に出荷しないといけなかったのが、来年4月からは農協に出荷しつつ、別の、例えば卸売業者に売ってもいい。同時に、農協以外のところにも売ってもいいと変わる。これもいろいろと問題があり、農協共販を都合のいい時だけ使うフリーライダーの懸念がある。つまり生乳が売れる時は卸売業者に高く売るけれども、いざ生乳が売れなくなって余った時だけ農協に出荷するみたいなことをされてしまう恐れがある。
既に野菜では起きていて、高く売れるものに関しては直接販売するけど、直接販売で売れない野菜を農協に押し付けるという場合もある。そうすると、農協に悪いものばかりが集まるという形になってしまうので、それは農協にとっても非常に問題だろうということ
どういう影響が出るかという話だが、指定団体に出荷していなくても補給金をあげる、あるいは、農協に出荷しつつ他のところにも出荷できるようにするということなので、この制度改革によって農協以外のルートの販売が増えるという可能性がある。つまり、農協共販のシェアが低下する可能性がある。どの程度低下するかというのが、実はなかなか難しいが、私の感覚からすると、あまり減らないのではないかとも思っている。例えば今97%ありますが、これが50%になるとか、40%になるということは多分ない。97%が90%ぐらいになる可能性は否定はできないが、いずれにしても直ちに一気にシェアが下がるという話でもないと思う。
大事なのは、確かに制度自体は全く違うものに変わるが、変わったからといって、すぐに実態が今と全く違うものにすぐに変わるとも思わない。なぜかというと、やはり酪農家にとって、農協に出荷するメリットは大きい。指定団体制度がたとえなくなったとしても、酪農家にとって農協に出荷するメリットはある。そのメリットというのが共販の3原則という形で非常にメリットがあるので、たとえ国の政策の裏付けがなくなったとしても、農協に依然として出荷する酪農家は多く、主流であり続けるだろうと思っている。
逆に、このことは何を意味しているかというと、今回の指定団体制度改革が、現実に存在する問題に対応して行われたものではないということを証明している。普通は、例えば指定団体制度があるせいで酪農家が農協に嫌々出荷しているのだったら、指定団体制度がなくなったらみんな農協に出荷しなくなる。しかし、これは確実にそうなると思うが、指定団体制度がなくなったからといって、みんな農協を抜けて勝手に販売し始めるなんて考えられない。やはり依然として生乳流通は農協が主流という状態が続く。
だからといって改革されても何の問題もないかというとそうではなくて、むしろ政府の意図が問題である。政府は農協共販を通じて酪農家同士が助け合うという現状の仕組み自体が望ましくないと思っているのは間違いなく、むしろ酪農家同士は助け合うのではなく、もっとお互いに競争しなさいと。これは国際競争も含めて。そうすれば非効率な酪農家がいなくなって、いわゆる大規模な酪農家だけ残ったら、これは政府が考える意味での酪農の発展につながるということ。そのために、お互いに競争させるような仕組みを無理矢理入れようとしている。
さらには、生乳流通における農協の影響力の低下を通じて、国内の酪農やあるいは乳業など既存の主体以外の企業、例えば小売業や外資の参入を促す意図があるものと思われる。やはり今の指定団体と乳業メーカーという体制だと別の企業が入り込む隙間がない。しかし指定団体のシェアを小さくしていけば、割り込む隙間ができてくるので、そういうところを狙って外資とか小売業が直接牛乳の生産に割り込んでくるというのを意図している。実際にあるかどうかは別にして、政府としては外部から企業にどんどん参入してもらって競争を活発化させようとしている意図があるのは間違いない。
そうすると何が起きるかというと、農協共販では牛乳・乳製品の安定供給を目的にして、ずっと今まで事業を進めてきが、これが非常に競争的になってしまうと、今まで計画的に行われていた牛乳・乳製品の安定供給というのが乱される可能性がある。特に販売競争というのは一般的に、酪農家同士の販売競争が強まると、これは経済学の基本的なことだが、価格が下がる。乳価下落、所得減少が起きる可能性があり、さらには安定供給に影響が出てくる可能性がある。この辺が懸念として考えられる。
もう一つの貿易の自由化、国家貿易、乳製品の関税の話に移る。
輸入製品に課せられる税金が関税だが、乳製品関税と言うと何か高いイメージがあるが、実は高いのは特定の品目だけである。国内酪農への影響が大きい特定の少数品目には非常に高い関税が掛けられており、実質的に輸入ができないぐらいの関税が掛けられている。高いのは脱脂粉乳とバターで、100%を超えるぐらい。バターを輸入しようと思ったら、139%の税金を払わないといけない。とても輸入できたものではない。ただし、足りなくなった時のために安い関税で輸入できるという制度が設けられていて、それが国家貿易制度である。
この一部の品目以外の多くの品目は、関税が低かったり、あるいは無税である。特に輸入量の多いナチュラルチーズは30%ぐらいしか関税率がないので、かなり低い。よって非常にたくさんのチーズ、20万tを超えるチーズが毎年日本に輸入されているという状況になる。
国家貿易制度は、主要な乳製品の輸入を国が管理する制度で、脱脂粉乳やバター、ホエイといった乳製品が対象になっている。実務を担うのは農畜産業振興機構で、国が海外乳製品の輸入売り渡しを行う。いつどれぐらいの量、どういうものを入れるかも含めて国が判断する。輸入する業者とか売り渡し先は入札で決める。国家貿易によって乳製品の輸入が行われているのは二つの場合があり、一つが1995年に発効したWTO協定に基づく輸入があり、これは脱脂粉乳とバターの関税を高いままにした代わりに、日本に毎年一定量の乳製品輸入を約束した。毎年、大体生乳換算で14万tぐらいの乳製品を輸入するという約束をしているので、毎年それに相当する乳製品を輸入している。これは余っている、足りないにかかわらず輸入しなければならない。
もう一つが足りない時。基本的には1番の枠で乳製品を輸入するが、それでも国内で乳製品が足りない場合は、追加輸入を行う。不足などで乳製品価格の高騰が起きた、あるいは可能性を含む場合が追加輸入。マスコミでは緊急輸入と言われることもあり、正式に言うと追加輸入が正式名称である。高い関税を掛けている品目も完全に輸入できないようにしているわけではなくて、国家貿易制度を通じて必要な時だけ必要な量を輸入するという非常に賢いやり方をやっているわけである。
このように日本は乳製品を輸入してきたが、この体制が大きく変わる可能性が出てきた。TPPと日EU・EPAの中身は、乳製品に限って見ればそんなに大きくは変わらない。これまで日本が経験したことがないような大幅な関税撤廃・削減をこの二つの合意で受け入れることになった。
やはり大きいのはチーズ。ナチュラルチーズで関税が撤廃される。現在の関税率の29.8%がゼロになる。あとは脱脂粉乳と質的に似ているホエイ。これはチーズを作る時にできる副産物で、このホエイの関税も撤廃される。国産の脱脂粉乳に影響が出る可能性がある。TPPではホエイは撤廃だが、EUとのEPAでは撤廃でなくて削減。削減でも7割ぐらい削減するので、かなりの削減。
あとは、撤廃はしないけれども、TPPに参加している11か国やEU諸国を対象とした関税割当制度の導入。関税割当とは数量上限付きの関税削減、あるいは撤廃の制度である。例えば日EU・EPAで合意されたのは3.1万t。1年間3.1万tの上限でカマンベール、モッツァレラなどのナチュラルチーズを無税で輸入できるようにする仕組みが作られた。EU・EPAなので、EU諸国だけが恩恵を受けることができる。
乳製品の内容で比べると、TPPよりもやはりEU・EPAの方が少し踏み込んだという印象がある。実はTPPでは、カマンベール・モッツァレラの関税は維持ということだったが、日EU・EPAでは3.1万tの上限付きだが撤廃にしてしまった。TPPでは守ったのはソフト系チーズだが、日EU・EPAではその部分も撤廃してしまう。やはりチーズに関しての影響は大きいと思う。
影響試算を簡単に示すと、価格低下の影響は全ての乳製品に出る。需要が実際に減少するのは、ホエイに置き換わってしまう国産の脱脂粉乳とハード系のナチュラルチーズの需要が減少する前提の下で行い、2015年度に発効したとして、15年後にどうなるかという前提である。
国内乳価は関税撤廃・削減分下がって、国産ナチュラルチーズの82%、国産脱脂粉乳の25%の需要が減ると想定する。基本的には北海道に直接的な影響が出るが、輸入乳製品が入ってきた結果、北海道で生乳が余ってしまい、余った生乳を他府県に送って処理するという行動に出ると仮定する。そうすると、生乳では、北海道で脱脂粉乳・バター向けが30%減。チーズ向けが69%減。余った生乳が都府県に移出される結果、都府県で約54万tの生産が減少し、生乳生産額ベースで約1,100億。かなりざっくりした計算ながら、最悪の場合そのぐらいの影響が出る。実際にはここまではならないと思うが、最大の影響額としてはこれくらいが想定される。
国内の酪農に影響が出るようなEPAとかTPPは良くないと思われる方が多いと思うが、山下一仁さんのような乳製品輸入論者は、バターなどへの高関税は撤廃すべきだと言われている。バターは輸入でいいではないかと。北海道は飲用にした方が高く売れるのだから、乳製品をやめて飲用乳中心でやるべきと。その方が北海道酪農にとってもいいと言われ、なかなか迫力のある考えである。一般の消費者からしても、何か乳製品が安くなるならそれでもいいではないかということを考える方もいるかもしれない。
しかし、そう簡単には行かない。これは北海道、都府県でも同じことだが、生乳の処理には順番がある。北海道の指定団体であるホクレンが生乳を乳業メーカーに配る場合に優先順位がある。優先順位が高いのが飲む牛乳で、次に生クリームの優先順位が高い。牛乳や生クリームというのは日持ちがしないので、注文量に応じてその都度作っていかなければいけないので、優先的に配分していく。チーズはもともと乳価が低いので、計画的に量をある程度決めて分配するので先にという形になる。一番最後に残った生乳でバター・脱脂粉乳を作る。つまり後回しになっている。
後回しになる理由は、まず一つ目が脱脂粉乳・バター向けの乳価は低いということ。牛乳や生クリームと比べると低い。これは酪農家の側の都合。二つ目は、生乳が余った時は、保存期間が長い脱脂粉乳・バターにするしかないということ。捨てるわけにもいかないので、取りあえず脱脂粉乳・バターにして保存しておかなければいけない。じゃあ足りない時はどうするのかというと、その時は輸入できる。牛乳や生クリームは輸入できない。日持ちしないものはなかなか輸入するのが難しい。脱脂粉乳やバターは日持ちがするので輸入可能である。
生乳は何年かおきに、日本全体で余ったり足りなくなったりするという現象が起きるが、それ以外に季節的に見ても毎年必ず余っている時期と足りない時期というのが必ず起きる。これは年間トータルで見て、過不足がない時でも必ず季節的には余っている、足りないという状況が生じる。これは、生乳の生産量と牛乳の消費量のずれが生じるので起きる。生乳の生産量が青で、牛乳に処理している量が赤で、例えば春先は赤と青を比べると青の方が多いので、余っている時期。逆に夏、9月、10月ぐらいは消費の方が多いので、この時は足りない。都府県のグラフなので、足りない時は北海道から生乳を持ってきて処理するような形になる。牛乳の処理量が8月は少ないが、学校給食がないので少ない。
牛乳の消費量は夏に多く冬に少ない。逆に生乳の生産量は、夏から秋に掛けて少なくなって、逆に春に掛けて多くなり、真逆の動きをしているので、生乳は夏に足りなく冬に余ることになる。その結果バターと脱脂粉乳の生産量は冬場に多く、夏場は少ない。北海道の乳製品工場は、夏場は乳製品に回す生乳がないので、2日に1回しか工場が動かないという話もある。
バターと脱脂粉乳は調整弁の役割を果たしていて、もしバターと脱脂粉乳を全て輸入品にしてしまうと、冬場に余った生乳の処理が非常に難しくなる。冬だけ無理やりバター・脱脂粉乳の製造をすると、乳業メーカーの採算が取れない。冬しか動かない工場をどうやって運営するのかという話になる。また雇っている人をどうするかという話になり、非常に大きな問題になる。もしも乳製品の製造ができなくなると、どうやって処理をすればいいのか。たたき売りしかないという話になる。冬場は牛乳をたたき売りすると、酪農家の乳価が下がってしまう。最悪売り切れないと廃棄せざるを得なくなる。もともと冬場は牛乳が売れないわけで、その中でいくら安売りしても売り切れないという事態も当然出てきて、酪農家の収入が減ってしまう。
冬場は生乳生産を減らせばいいのではないかと思うかもしれないが、生乳の生産は急に増やしたり減らしたりが難しい。新鮮な牛乳や生クリームが必要であるならば、バター・脱脂粉乳の国内生産の維持がセットで必要である。牛乳と生クリームだけ日本で作っておけばいいと簡単には言えない。バターと脱脂粉乳がないとうまく調整できない。これが非常に大事で、だからこそこのバターと脱脂粉乳に対しては高い関税を掛けて、国内生産きちんと守っているという意味がある。
結論と展望であるが、日本の酪農制度は生乳流通の面では農協共販を中心とした安定供給。輸入の面では、政府による輸入管理の二つの軸で成り立ってきた。ところが、生乳流通制度改革やTPP、日EU・EPA合意により、乳製品の関税が撤廃ないしは削減されようとしているが、これまでの酪農制度の根幹を大幅に変えるものである。
補給金制度は牛乳・乳製品の安定供給と酪農経営の安定を、例えば農協共販に生乳を集めることで達成しようとしたり、あるいは高い関税と国家貿易制度によって、安定供給と酪農経営の安定を目指してきたわけである。今回この制度を変えようとしているわけで、農協共販ではないところを増やそうと、あるいは乳製品の関税を下げようとしていて、今までの前提が全部変わってきてしまう。
これから先、牛乳・乳製品の安定供給や酪農経営の安定をどういうやり方で実現するのかを、きちんと議論しなければいけが、政府はそれを全く示していない。言いすぎかもしれないが、市場に委ねるということで、競争を通じて調整するようにということなのだと思う。これもおかしな話で、自由に競争させるとうまく行かないからこそ50年前に補給金制度を作ったのであり、それをまた元に戻すという話で、歴史に学ばないというのはこういうことなのかなと思う。もともと市場メカニズムで調整できるならやればいいが、うまく行かないからこそ補給金制度を作って調整してきたにもかかわらず、それを全部ひっくり返すような話をしているので、やはり関係者からすると、何のための改革なのか分からないという話になり、多くの関係者の受け止めはそういう方が多いのではないかと思う。