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第85回 人類を支えてきたミルク
~ミルク利用の発達史と現代日本における立ち位置~

牛乳・乳製品から食と健康を考える会 開催

第85回 人類を支えてきたミルク ~ミルク利用の発達史と現代日本における立ち位置~
日時
平成28年2月10日(水)15:00~17:00
会場
乳業会館3階 A会議室
講師
帯広畜産大学地域環境学研究部門准教授 平田 昌弘
【 出席者 】
「牛乳・乳製品から食と健康を考える会」委員
消費生活アドバイザー 碧海 酉葵
管理栄養士 荒牧 麻子
毎日新聞記者 今井 文恵
ジャーナリスト・実践女子大講師 岩田 三代
江上料理学園 院長 江上 栄子
消費生活コンサルタント 神田 敏子
評論家・ジャーナリスト 木元 教子
作家・エッセイスト 神津カンナ
科学ジャーナリスト 東嶋 和子
産経新聞 文化部記者 平沢 裕子
(50音順)
乳業メーカー:広報担当
乳業協会:白川専務理事、石原常務理事他
専門紙記者
【内容】
今回は、委員の皆様からご要望のあった「世界及び日本におけるミルク利用の発達史」に関して、ユーラシア大陸乾燥地帯の牧畜民を追いかけ、特に乳文化について体系的に調査研究を行っていらっしゃる帯広畜産大学准教授平田昌弘様に「人類を支えてきたミルク~ミルク利用の発達史と現代日本における立ち位置~」と題してご講演をお願いした。
- 【前段】 -

ミルクの持つ文化的側面はとても大切なことです。国際化の時代で海外の産物が多く輸入されてくる中、日本で生産されるミルクの価値を認めることは地場の産業を支援することにもなります。また、価格競争ではない、ある意味では文化、価値の問題に繋がってくるものだと思います。文化は国際化時代だからこそ重要だと思います。それ以上にミルクと言うものは楽しいというか、人々を幸せにする、そんな力を持っているものだと思います。

© 2016 Masahiro Hirata

ミルクは人々の生活を1万年支えて来ました。その利用はどこで始まって、どのように人類史に貢献してきたのかを述べます。
この写真はミルクを介して母親、子供が乳製品を囲んでつながっている文化的側面のものです。ミルクは人々をつなげながら支えてきた訳です。

- 1.搾乳の起源と意義 -
「乳文化の起源・伝播」「乳利用の意義と利点」
© 2016 Masahiro Hirata
© 2016 Masahiro Hirata

このテーマの舞台は西アジアです。赤茶けた乾燥した地帯で家畜を飼い始めます。乾燥地帯のイメージをこの写真からお持ち下さい。このような地域は草も少なく一日の気温の寒暖が激しく環境的には厳しいのです。そこで動物を飼い、ミルクを利用して命をつないできたのです。この写真で分かることはイヌがいます。このイヌは主にオオカミやヒツジから飼育動物を守る役目を果たしており、牧羊犬としているわけではありません。また、飼い主の持つ銃も肉食獣から飼育動物を守るためです。この地域ではウシではなくヒツジやヤギを飼育しています。乾燥地帯ではウシは必ずしも適応しません。ヒツジ、ヤギの中型動物のほうが乾燥に強いのです。
上記右はヒツジの群れです。ヒツジは先頭に居るヒツジに追従する性質があり社会性があると言えます。それだからこそ、群れで飼育することができるのです。だからこそ多頭数を使用する家畜に適している訳です。先頭のヒツジは去勢された牡です。この去勢ヒツジを管理すれば、群れ全体を管理できるのです。牡はこの環境では多くの頭数は必要ありません。種牡を少ない頭数飼えば良いのです。家畜の行動特性を十分に生かして必要なミルクを搾っています。
この写真ではもう一つ分かることがあります。大麦を収穫した残渣を食糧にさせていることです。つまり、ミルクを利用する意義・利点は人間が利用できない草とか農業残渣を利用して家畜を肥育させ肉やミルクを利用することです。
現代の酪農は配合飼料で飼育しミルクを多く搾るやり方で、効率至上主義的な面があります。このことは、このまま継続することは考えづらくもう一度問われる時期が来るのではないでしょうか。人間が本来利用できない野草や農業残渣を上手に現代酪農に組みこんだ生産方式を考えてみたらどうかと言うことです。つまり、濃厚飼料だけでなく、粗飼料を使ったり放牧酪農を見つめなおす必要があるのではないでしょうか。

© 2016 Masahiro Hirata
© 2016 Masahiro Hirata

搾乳とは何かと言いますと、家畜を殺すのではなく生かしながら食糧生産をすることです。殺してしまって肉にしてしまうとミルクは利用できません。この写真でも分かることがあります。家畜が同じ方向を向いていますし、牧柵も何も無いところで飼われています。これも追従性を利用し家畜の行動性を十分理解し搾乳を実現しているわけです。このように、羊のような中型の家畜のおとなしく従順な性質を利用することは人間にとっても労力の負担を軽くすることにもなっています。
西アジアの遊牧民は、ミルクからできるバターオイル、チーズ、ヨーグルト等の乳製品を多く利用しています。勿論、肉も食べますが所謂「晴れの日」にしか食しません。日常は食べません。搾乳というのは家畜との共生なのです。つまり、ミルクや乳製品というものは家畜と人類の共生であるともいえます。
約1万年前に家畜を殺して肉をとることから、家畜を生かしてミルクを使うという食糧生産を始めて行うようになりました。全く視点が違う食糧生産になりました。これは一大転換点だといえます。家畜から常に食糧としてのミルクを得られる共生が始まりました。

それでは、1万年前から始まったということは何で推定できるのでしょうか。その情報は文字情報である古文書や、以降に続く図像学的、土器形態分析学的、有機分析的、動物遺骨組成分析的といったアプローチの手段があります。どのやり方にも一長一短があります。

© 2016 Masahiro Hirata

例えば古文書的アプローチですと書かれている文字から読み解けます。上の図(紀元後550年頃に東アジアで編纂された『斉民要術』の一部)に「作酪法」が書かれていますが、ここでの記述から現代ではヨーグルトにあたると読み解けます。しかし、これは文字が発明された以降のことしかわかりません。斉民要術という古文書からは、少なくとも紀元後500年くらいにはミルクを利用していたということが判るに留まります。

© 2016 Masahiro Hirata
© 2016 Masahiro Hirata

図像学的アプローチですが、描かれている絵を分析します。上記左は、紀元前3~4千年メソポタミアのシュメール文明時代の「ウバイド遺跡」出土のフリーズです。フリーズというのは神殿の上部に飾るもので、上記左のフリーズは搾乳をモチーフとしています。神殿に飾るほど家畜や搾乳という作業は重要だったかが判ります。上記左の絵を読み解くと、この時代には確実にミルクを搾っていたことが判ります。更に、この絵に描かれているウシの「後ろから」乳を搾っています。現代はウシの「横から」搾ります。「後ろから」絞るやり方はヒツジやヤギのやり方です。このことから、搾乳はヒツジやヤギで始めてウシに至ったであろうことが判ります。また、傍に仔ウシがいます。この仔ウシの鳴き声や匂いで母ウシが乳を出すため近くに居させるのです。このように図像は文字情報より古い時代が判りますが、絵の意味を解釈する際に我々が、想像や推測しなければ判らないことがある分だけ正確性にやや欠けると言えるのではないでしょうか。
次に上記右は、紀元前4千年紀のウルク期の遺跡から見つかった王が書簡などに押す印章の図です。母ウシ群と仔ウシ群を分けています。母ウシと仔ウシを別々の群れに分けるということは、自由な哺乳を制限することを意味しており、搾乳を前提とした図であろうことが想定されます。しかも仔ウシの近くに容器があるのでここに搾ったのだろうといことが判ります。

© 2016 Masahiro Hirata
© 2016 Masahiro Hirata

上記左は、紀元前6千年紀にアナトリアの遺跡から出土した土器の写真です。この土器には、全体的に多数の穴が空いていることが判ります。ヨーロッパで発掘されたチーズの脱水に使用する器具と形態が非常に良く似ています。この土器もチーズ製造に使用したのではないでしょうか。もしそうであるならば、紀元前6千年紀には人類はミルクを利用していたことになります。ただし、ここにも推測が入っています。土器の形態からオリーブを絞ったものかもしれませんし、そこが判らないところです。
上記右は有機分析的アプローチによる分析結果を示した図です。近年、考古学の領域では化学的分析を適応することが盛んに行われています。上記右の研究では、乳脂肪を構成する脂肪酸に着目しました。出土した土器に、乳脂肪を構成する脂肪酸が含まれていたらミルクは利用されていたことになります。詳細な分析方法は省略しますが、上記右の分析結果には確かに土器に乳脂肪を構成する脂肪酸が含まれていました(図中の赤枠部分)。これで少なくとも紀元前7千年紀には西アジアでミルク利用されていたことが判明しました。

更に、遺跡から出土した動物の骨から肉をとるための家畜だったかミルクを搾るための家畜だったかが判るといわれています。それは、肉を食べるための家畜はせいぜい2才まで成育させて食べる。2才以上生育させてもそれ以上は大きくならず餌の無駄になる。だから、肉目的に飼養していた家畜が遺跡から出てきた場合、その出土動物骨は2才齢までが多いはずです。ところが、ミルクを利用する家畜は主に2才以上になってからミルクは搾れるわけですから高齢化した骨が出土するように変化するはずです。ただし、当時は肉も食べていたかもしれないし、同時にミルクも利用していたかもしれません。ですから、このアプローチも完全に正確だとは言い切れませんが、出土動物骨の分析からは少なくとも紀元前8千年紀にはミルク利用が始まったとされています。ですから、現在からさかのぼれば、ほぼ1万年前にミルク利用はされていたことになります。

ミルク利用は、様々の物的証拠から西アジアが起源と考えられています。家畜化は少し早く紀元前8500年頃とされ、ヒツジ・ヤギの中型から始まりウシに移行していきます。家畜飼養の最初の目的は肉の利用にありました。ですが、あまり時間をおかずに、西アジアの人びとは家畜から搾乳の技術を発明していったことになります。そして、乳利用の開始とほぼ重なるように遊牧民の存在が現れてきたことが指摘されています。つまり、乳文化の開始と牧畜民の成立とがほぼ重なっていると言えます。

今までをまとめると、西アジアの場合は先ず農業から始まり、定住しながら家畜を数頭飼い始めます。それは、肉利用です。そこから間をおかず搾乳の技術を発明し定住から遊牧へとライフスタイルを確立していきます。そこから、人類は酪農へと移行していきます。このことから、ミルク利用は人類史において一大革命だと思います。この効果は現在ヨーロッパの文明・文化は牧畜に支えられ、数多くの種類のチーズを製造できることに繋がり、我々の今があることでも分かると思います。
また、アフリカのマサイ族のように、ミルクに依存して生活している牧畜民の中には食糧の60%をもミルクで賄っている場合もあります。ミルクは完全食品ではありません、ビタミンCはありませんし、鉄分もありません。しかし、生きていくための多くの栄養素は豊富に含んでいるのです。アフリカのマサイ族は、ミルクに多くを依存して生きていけることを指し示しています。
次なるミルクを利用する意義と利点は、飼料の利用効率がミルクは肉の約4倍もあることです(可消化エネルギー換算)。つまり、植物を食べた家畜をミルクで利用すれば肉の約4倍のエネルギーを我々は摂取できることになります。肉を利用するよりミルクを利用した方が生産性の良いことに、家畜化を始めた西アジアの人びとはいち早く気付いていったことになります。
世界の人口と食糧の問題を考えて見ますと、2100年には世界の人口は112億人になり現在の2倍ちかくになります。今でも食糧が足りずに飢餓人口が8~9億人いるといわれています。食糧増産は今でも図られていますが、そのミルクに依存した構造になっていれば、可消化エネルギーが肉の約4倍あるわけですから食糧消費もそれだけ賄えることになり、増えた人口を養えることに繋がるのではないでしょうか。
従って、配合飼料や濃厚飼料と競合するのではなく今一度、人間に利用できない粗飼料で酪農を行い、肉も利用しますがミルク中心的な消費構造にしていけば、これからの人口増加に役に立つのではないでしょうか。