乳文化の起源と伝播についてです。乳文化は西アジアで生まれ周辺に伝播していきます。この図は、15世紀くらいに搾乳をどの地域で行っていたかを示しています。網のかかっている地域が搾乳していたことを、赤色・黄色の地域が乾燥地帯を、薄緑色の地域が湿潤な地域をそれぞれ示しています。この図から、ミルク利用は野菜や穀物ができる豊かな地域よりも、乾燥地域のような農作物生産の難しい地域で主に発達してきたことが理解されます。ただし、例外的な地域としてヨーロッパが挙げられます。ヨーロッパでは湿潤な気候にも拘わらず家畜を飼い、ミルクを搾っています。日本や東南アジアではこの当時ミルク利用は一般的にはおこなわれていませんでした。
何故、西アジアで搾乳が開始されたのでしょうか。その回答はなかなか難しい問題です。乾燥地帯では必ずしも作物栽培に適した地域ではありません。そこで、人間が直接利用できない野生の植物を利用して家畜を飼育していく中で、ミルクを利用することを発見していったことでしょう。ミルクは栄養価が高く、重要なタンパク源・脂質源であり、貴重なカルシウム源でもありますから、ミルク利用を発見したならば、これを利用しない手はありません。
ミルクからつくられるチーズはタンパク源、バターは脂質源として、それぞれ重要な栄養素として利用されます。また、カルシウムを多く含む食品は多くなく、その中でもミルクはカルシウムを豊富に含む食品です。その他に海産物や濃緑色食野菜、豆類も挙げられますが、一食分にするとミルクはそれらに比べカルシウム豊富な食品といえます。カルシウムの視点からアメリカの生態人類学者マーヴィン・ハリスがミルクを利用するしないを論じました。人類はカルシウム欠乏に陥り易い、カルシウム欠乏は生存戦略上不利であり、カルシウム供給源の少ない地域(乾燥地帯やヨーロッパ)では、ミルクをカルシウム供給源としても必要とし、その結果、ミルクを大人になっても消化できるようになる(成人になっても乳糖耐性を獲得する)という仮説を立てました。一方、日本や東南アジアではカルシウムを豊富に獲れる濃緑色野菜、豆類さらに海から海産物を摂ることができたため、カルシウム含量が豊富なミルクをそれ程利用しなくても良かったと解釈しました。たいへんに面白い仮説です。
搾乳しやすい動物は、ウシよりもヒツジやヤギです。そのヒツジやヤギの原種は南ヨーロッパから西アジア、中央アジアにいたる地域に分布しています。搾乳はヒツジ・ヤギで始まったのですから、これらの地域のどこかで始まったことになります。このことも、搾乳はどこででも始まったのではなく、西アジアで一元的に発生したとする仮説を支持しています。
では、如何にして搾乳は開始されたのでしょうか。このことについては、京都大学の文化人類学者である谷泰氏の著書『牧夫の誕生』の中で説明されています。
搾乳は難しい作業です。母はそのままでは乳を出しません。先ず、鳴き声と匂いで仔を認識させ、仔に乳を一定限飲ませて、その後引き離して人間が乳を搾り取ります。これを催乳といいます。これは、家畜の母は仔の鳴き声と匂いで子供を認知し泌乳することを利用しての技術です。仔が死んでしまうと乳を出しません。その場合、牧民は仔の亡骸を傍に置き、その匂いで母の泌乳を促進させます。動物は自分の仔にしか乳を与えないという深い母仔の絆のため、搾乳という技術は非常に難しいのです。
谷氏は母仔間に危機、例えば哺乳や授乳をしなかったり、母を失ったり逆に仔を失った場合、乳が出ないわけですから人間が母仔間に介入し母仔を近づけたり、乳母づけしたりします。牧民にとって家畜は最も大切なため一頭でも無駄にしません。搾乳は、上記の写真のように、このような母仔の間に人間が匠に介入し、実仔の鳴き声や匂いを利用して乳を人間が奪い取ることなのです。ミルクは本来、母仔間のものであるから人間が飲むものではないという議論があります。しかし、そういう見方をするのではなく、ミルクに依存して人びとの生活が発展してきた事実を鑑みつつ、母畜からミルクを頂いている、だから我々は毎日ミルクを頂けていることに感謝したいという姿勢が大切なのだと思います。
【これまでのまとめ <ミルク利用の意義>】
- 人間が利用できない草を食糧に変える
- 犠牲から共生へ(殺して肉をとることから生かしてミルクを利用する)
- 人類史上における一大生業革命
- 生産効率の飛躍
- ミルクを頂ける有難さ
- 栄養価の高い食糧(命の糧)
1万年前に西アジアで始まった乳文化はまさに優れた食育のテキストだといえましょう。
- 2.乳加工の発達史と人類進化 -
世界にはいろいろな乳加工のやり方があります。ユーラシア大陸を見ると北と南でその特徴が大きく分かれます。西アジアで搾乳が始まり、ある程度加工が発達した段階(ミルクの保存が確立した段階)で周辺に乳加工が伝播していったと考えています。乳製品の本来的意義は「保存」にあります。
上記右の図中、下段の棒グラフは仔畜の生まれる頭数を月別に示したものです。1~2月に多く生まれます。一方、上段は植物の生育をプロットした折線グラフです。これを見ると仔畜の生まれる時期から少し遅れて植物は生育してくることが分かります。
1~9月はミルクを搾っている月です。ミルクは一年中搾れていません。つまり、ミルクの無い時期もあるということです。その期間、ミルクに依存している牧畜民の生活はどうなっているのでしょうか。
それは、ミルクのある時に十分搾っておいて、それを加工してミルクの無い時を凌いでいくのです。つまり、ミルクを加工・保存するわけです。乳製品の本来的な意義は保存にあります。西アジアの場合、ミルク加工の最終形態である乾燥チーズやバターオイルは数年保存が可能だと言われます。
西アジアの加工法を簡単に紹介しますと、搾乳したミルクを加熱殺菌し、そこに昨日余ったヨーグルトを少し加え入れて数時間静置し、ヨーグルトを先ずつくります。それをヒツジやヤギからつくった皮の袋に入れて左右に振盪し、バターを加工します。そして、バターを加熱してバターオイルにします。また、バターを収集した後に残ったバターミルクは、酸度が高くなっているので加熱するだけで凝固してきます。凝乳を袋に入れて脱水し、中のチーズを日干し乾燥させ保存します。このような加工技術を得て、ミルクを加工・保存できたらこそ、ミルクに依存した1年間の生活が成り立つのです。この一連の保存技術の伴ったミルク加工技術が周辺に伝わっていきました。
北方に伝播した乳文化は、気候の冷涼性から西アジアのミルク加工技術が、冷涼な自然環境のもと、クリームをとったりお酒を造ったりする文化に変遷・発達していきます。
上記左は、ミルク加工の発達過程の概略を図にしたものです。気候により、つまり、暑熱環境下で始まった西アジア(南方アジア)のミルク加工は、冷涼環境下の北方アジアで特異的に変遷・発達し、二極化していったと考えています。
ミルクは子供のためのもので大人は本来飲まないもの、といった批判があります。それに対して、事実として人間は様々な資源を食糧として食べて生きています。実は、ミルクを利用できるように人類は進化しているのです。
人間は搾乳を発明し、ミルクの利用を始め、それが急速にアフロ・ユーラシアに広まっていきました。そして、1万年の間にミルクに依存した生活が発展していきました。
その間に人間の乳糖耐性も進化することになります。ミルクは子供のものでしたから、大人になると乳糖を分解できなくなるようにもともと体内でセットされていました。進化の過程では、大人になるとミルクを飲まなくなるので、乳糖分解酵素は不要となり、大人では乳糖分解酵素が出なくなるように仕組まれていました。
それが、大人になっても乳糖分解酵素が生産され続けることになります。この地図の白い部分は大人になっても乳糖分解酵素を高い確立で出し続ける比率が高い地域を示しています。ヨーロッパ、アラビア半島、西アフリカでは大人になってもミルクを消化できる人が特に多いことが分かります。これはミルクと共に歩んだ一万年の間の人類の進化と言えます。
本来は消化できなかったものが消化できるようになった事実は、人類がこの1万年の間に突然変異を起こし、その突然変異体が選択され、生きていくうえで、大人になってからもミルク(乳糖)を利用できるほうが有利だったことを示しています。人間は常に進化を続けています。この乳糖耐性が良い例で1万年の間に遺伝子が置き換わり、ミルクを利用できるように進化していったのです。その方が生存に有利だからです。このこと自体がミルクの食料資源としての重要性、生存にとって意義あることを示しています。
ミルクを利用するな、ミルクは仔のためのものだという論に対しては1万年前と状況が違っているのです。つまり、私たちはミルクを利用し、ミルクに依存して生活していくように、この1万年の間に、私たちも進化してきているのだということです。人間は、ミルクの他、魚や家畜など様々な資源を食糧として利用して生きています。
人類は他の生き物の生命によってその生活が成り立っている訳ですから、大切なことは生命を尊重し感謝して頂く姿勢だということです。これからも地球上の生命と持続的に共存し、上手に謙虚に利用させて頂きたいと思うのです。
- 【これまでのまとめ】 -
- 乳文化は一元二極化して発達していった
- 乳製品の本来の意義は保存
- 様々な資源を利用し人類は生きてきた。ミルクを頂く際には生命を尊重し感謝の姿勢が大切
- ミルクが利用できるために乳糖耐性を獲得したように人類も進化、つまり乳文化と人類は共進化の関係
と、ミルク利用の発達史とミルクとの関係をまとめられます。