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第105回 SDGsの伝え方
~学校が期待すること~

牛乳・乳製品から食と健康を考える会 開催

- 講演後の質疑応答 -
Q1.環境という言葉とSDGsというのが同じになってしまう危険性を先生がご指摘されて、私も本当に共感しました。環境について言いますと、環境問題の広い視野を持つという本質ではなくて、例えばソーラーカーをつくるとかゴーヤのカーテンをつくるとか、それで終わってしまうようなことがあって、言葉が一時の流行で終わってしまって、その子どもたちが10年後20年後、大人になったときに本当にSDGsの本質を理解して自分のものにしていたかというところが大事だと思いました。先生の取り組みはすごく期待したいなと感じました。
A1.
  • ありがとうございます。
  • 質疑応答
Q2.新聞にも出てない日がないぐらい、SDGsという言葉は非常に出てきますが、本当の意味というのがみんなどこまでわかってるのかなというのは、これだけ出ていても何だかバラバラじゃないかなと思います。学校現場で先生のような形で授業を受けられる子はいいけれども、小学校、中学校でこういうことが大事だとか、授業の中で1年のうちに必ず1回ぐらいはどこかでやるとか、今そういうようなのは何もないわけですよね。各学校の取り組みでしょうか。
A2.
  • おっしゃるとおりです。各学校の取り組みになっています。SDGsとして掲げて授業をやっていなくても、SDGsにつながるような授業は当然されてはいるんですけど、そのことがSDGsの本質につながっているんだという考えに基づいてしていることはなかなかないので、そこはこれからもっともっと考えていかないといけないと思います。
    これは一つは教員養成の問題なんですよね。つまり、今まで教員はあんまり考えなくて済むように準備されてしまったんですよね。だって、学習指導要領があって、教科書は世界一ですから、まさにティーチングマシンとしての働きはしていたんです。だから、総合的な学習の時間でなぜつまずいたかというと、自分でカリキュラムをつくってと言われても、そのつくる練習を大学でしてないし、つくる足場となる経験も中高生でもしていません。免許で総合的な学習の時間と特別活動を合わせて1コマなので、これもまた問題でしょうね。教科の時間は一つで、理科で1コマあるのに。そういうのをここで言っても仕方ないんですけど、そういうのが一つです
    それともう一つは、2030年度に責任を持てるということを考える暇なく、先生は忙しいです。あれだけ教員が足らずに見切り発車していて、しかもさらにコロナが拍車をかけて、隣のクラスの先生が1週間休むとなると、じゃあ私がA組、B組を見る。教員は、あした授業をどうするのかということしか目が行かないようになっている現状です。だから、教員が食育とか環境教育とかSDGsとか、子どもの将来に責任を持つことをもっと考えられるようにするためのことがまず大事なんだ、という前提は二つあると思うんですね。
    いずれにしても、増えてはきています。特に若い先生たちが「これは何のために教えるのかな」ということを考えるようになってきているのは、生活科や総合がスタートして、そこで育ってきた子たちが教員になってきているからなのは間違いないです。もちろん二極化もしています。多分、社会の中で二極化している部分もあると思うんですよね。そのあたりは私は希望は持っています。私も高齢者に近くなってきたので、40代50代の人にあまり期待しても、そのままのやり方でずっとやったらいいと思うけど、これからもっと若い人たちがしっかりと働きやすいように、よさを発揮できるようにすることが大事なんじゃないかなと思っています。
  • 質疑応答
Q3.大変興味あるお話をありがとうございました。学習指導要領の裏づけがないと先生が教えちゃいけないけれども、文部科学省が何とかをしろと上からどんどん降ってきたら、それに対応しなきゃいけなくて、スクラップ・アンド・ビルドができなくて、ビルド、ビルドばかりで先生が大変だというのをちょっと聞いたりもしたので、大変だなと思います。
消費期限、賞味期限という話を以前取材したときに、賞味期限はある程度間があるから、それを過ぎてもすぐに捨てなくてもいいのに、今の若いお母さんたちは1日でも過ぎているとばんばん捨てるのでロスに大変つながっていると。今、消費期限のほうは月表示までにするなんていう動きもあると聞いているんですが、そのときに学校の先生にお話を聞いたら、今の子どもたちは腐るということを知らないと。私たちが小さいときは、お餅が腐ったとか練り製品がぬるぬるしたとか、腐るという現象は結構身近にあったと思うんですが、今は大変衛生的で管理された社会になったがゆえに、そういう経験を持たないままに大きくなっている子どもが多いと。そういうのは学校で教えられるんでしょうか。私は一回、お餅でもパンでもいいから放っておいて、カビが出て最後はぐじゅぐじゅになって消えてしまうまで見せてやればいいと思うんですけれど、そういうのは学習指導要領的には無理なんでしょうか。
A3.
  • まず賞味期限と消費期限は小学生から家庭科で必ず学習するので、その言葉があれば、そこをきっかけに広げることはできます。心ある教員はそれをきっかけにしながら、例えば腐敗と発酵。発酵になると今度は食文化の内容になって、小学校では少し発展的な内容ですけど、中学校になると確実に家庭科で押さえるべき内容になるんですね。
    あわせて、家庭科の学習指導要領の中にご飯とみそ汁というのは教えましょうと書いてあるんですね。ご飯とみそ汁を教えるという書き方が特徴的なのは、学習指導要領というのは総体を書くから、何を教えなさいまでは書かないんですね。でも、ここにいらっしゃる方は皆さん全部、秋になったら、彼岸花を見ると「ごんぎつね」を思い出すと思うんです。あれは日本の小学校の教科書全てに、4年生で「ごんぎつね」が教材として載っているからで、学習指導要領には『ごんぎつね』を教えなさいとは書いてないんです。だから、ご飯とみそ汁を教えましょうと書いているのは画期的なことで、そうなるとそこと少しつなげながら腐敗と発酵ということを教えることはできます。
Q4.では、先生の裁量で、例えば小学校の低学年でも、食品が腐るというのはこういうことなので、みんな一回やってみようみたいなこともできるということなんですか。
A4.
  • 学習指導要領の位置づけがないので、小学校低中学年では無理ですけど、高学年であればそれはできます。あと、先生方の公的な勉強会とか研究団体があるので、そこでこんな事例があるんですよと出して、それいいですねとなると、うちもやってみますという話に広がっていきます。
    かつてザリガニって小学校で結構飼っていたと思うんです。今はザリガニは生態系を乱すので主たる教材でなくなってきたんですけど、あれも相模原の先生が、教室に居場所がない男の子がザリガニを捕まえるのがとても得意で、みんながその男の子にザリガニの育て方を教えてねとなると、教室の中にその子の居場所ができてきた。その実践報告を見た教科書会社がザリガニいいねとなって、ザリガニを生活科の教科書に取り入れた。そうすると、その生活科の教科書の改訂のたびに、じゃあうちの会社もザリガニを入れようとなって広げていったということもあるので。
    だから、腐るということも、研究団体なんかで実践を積み上げていって、それに意味があるよということに対する事例の提供とか情報の提供ができれば、広がっていく可能性は大いにありますよね。
Q5.私がその話を聞いたのはもう随分前なんですが、腐るということを知ってる子どもたちはそのときよりは増えてきているのでしょうか。
A5.
  • いえ、減ってるでしょう。もうとにかく日本昔話の指導ができないというのは間違いないので。「ごんぎつね」は菜種がらで火をつけると書いてるんですけど、そもそも菜種がらって何かという。干してある菜種がらで火をつけるということは、菜種が油をとるものだとわかっている。ごんはそこまで賢い、子どものキツネじゃなくて小さいキツネなんだという作品の読み取りに当然必要なんですけど、その菜種がらがわからないからというので、物語教材の読みはどんどん苦しくなっています。
    でも、やっぱり腐敗と発酵なんかは、多分価値観というか、物の見方を教えるにはとても大事なことだと思うんですよね。私たちは上手に使ってるから発酵になるし、これは中学校の理科ではやっている実践があります。だから、そのような学習指導要領の位置づけがあるところをちょっと広げていくことが、可能性としてあると思います。
  • 質疑応答
Q6.「発酵」からちょっと思いついた質問ですけど、私は本当に日本人は保存ということに上手に対応して、それから発生しているうまみなんていうのもすばらしいものがあると思うんですが、このごろ私がとても不思議だと思いますのは調味料は発酵食品ですから、ああいうものは1年だけじゃなく2年3年4年、長いときは本当に驚くぐらい長くまで発酵させてこそ味の出るものもあれば、保存もききますよね。
でも現在の商品を見ると、賞味あるいは消費期限が1年とか、とても短い設定になっているんですね。若い人たちは一番に期限を見て、何月何日までかというのが一番大事で、分けてあげようと思っても、あげられなくなっちゃうんですね。
あの辺の矛盾といいますか。それはいろいろな考え方があると思いますけど、どういうふうに上手に考えたら、それを乗り切れるでしょうかね。
A6.
  • わかりやすいものが伝わりやすいというのがありますよね。例えば牛乳パックに書かれている情報でも、まず賞味期限表示に目が行きますよね。普通、子どもたちもそうなると思います。一方で、これは大事な情報だから、わかりやすく表示しないといけないということは当然あるんですけど、私はそういう意味では牛乳パックなり乳製品の表示、徹底的に表示にかかわる授業をするというのは大事なことだと思うんですよね。
    以前やったのは、「コンビニのおにぎりを販売するとしたら、みんなだったら何の情報を載せる?」というのをいろいろ相談して、これが必要なんじゃないの?となって、実際見てみようと。講演でお話ししたお茶のラベルの表示もそうで、今でいう消費者教育だったり倫理的な消費の教育だと思うんですけど、やっぱり表示についての学習。もちろんそれが短いということは確かに気にはなりますけど、メーカーさんが書いてあることにはさまざまな工夫があるということを、それこそ学習指導要領の位置づけを背景にしながらもっと取り上げていくということこそ何か本質があるような気がするんですね。
    今まで、牛乳でいうと栄養、健康とかカルシウムとか完全食品とかいうことが大事なのは間違いないんですけど、その表示というのをどう見るのかとか考えるのかというところから、ただただ数字だけじゃないよという話をね。
Q7.長期間置くことによって出るうまみとかについては、大人をまず教育しなくちゃいけません。子どもから教育して、だんだん大人になるまで待つにはあまりに長過ぎますけど、そういう手段というのはやっぱり何か政府のようなところに問い合わせて求めていかないとならないのですよね。
A7.
  • やっぱり一番いいのは作ることだと思います。私はみそをつくったことがあります。みそ屋さんからみその材料を仕入れて、みそを作りました。何か物が生まれてくる過程とかにかかわってないと、そこに思いを至らせることはむずかしいと思います。
  • 質疑応答
Q8.一番最初に伺った、栄養教諭の先生が真面目というのがすごく、ああ、そうだよなと思いました。でも、考えたら確かに学校に1人しかいなくて、なかなか先生同士で情報交換ができないというか、かといって、そんなにたくさんの栄養教諭の先生を置けないですよね。だからそことSDGsとか、皆さんいろいろなことをこうしてやらなきゃいけなくて大変だなというのを思いました。
給食も学習指導要領に入るのでしたでしょうか?給食に関することを何度も文科省に申し入れても、なかなか文言を変えてもらえないみたいなことがあって。文科省ってなかなか変えないですよね。これを変えてもらうには例えばどうしたらよいのでしょうか。
A8.
  • 給食も学習指導要領に入ります。お役所の特徴ですけど、文科省って見事に前例踏襲で、その延長線で何かをしているというふうにやるのが間違いがなく、しかも食育って、国の食育は農水省が所管しているのに、学校の食育は学校給食があるから文部科学省という、あのねじれも私は気になるところです。
  • 質疑応答
  • でも文科省も今一生懸命になっているのは、栄養教諭を配置することで、食育についての教育効果は本当に上がっているのかということを問われているんですよね。総務省の調査で効果が上がってないと出たんですね。でも、いや、そうじゃないよということを今、文科省はその成果を上げようとしてはいるし、実際は成果としても上がっていると思います。だから、やっぱり栄養教諭、学校栄養職員にどうアプローチしていくのかというのは大事なことだと思います。教材を提供したり情報を提供したり。そうはいっても、栄養教諭はたしか全国で6,000人くらいいて、財政的な裏づけがないとなかなか任用ができないのがあるので、そういう人たちは日々、給食の食材をどう生かすかということを悩んでいます。
    給食の食材ではねられるものはあるんですかと聞いたら、やっぱり生食のものははねざるを得ないということでした。お肉とかは加熱するからいいんだけど、例えばミカンとかグレープフルーツだったら、調理師さんが検食するから、ちょっと腐っていたり傷があったらそれはすぐ返さなきゃいけない。そういうところでも食品ロスが当然発生しているものもあるからということになってくると、それをまたどう生かすかみたいなことを考えることにもつながっていくチャンスがあるかもしれませんねという話をしたんですけどね。
  • 質疑応答
Q9.私が係わっているラグビーのチームは、一般の人よりも肉を2倍とか3倍ぐらい食べるような種目で、そうなると、チームとしてスポーツを通して、食の部分でSDGsに取り組むには何をしたらいいんだろうと考えました。とりあえず選手たちにこういうことを食を通して考えることが大事だというきっかけをつくろうということで、チームのマネージャーと話をして今はやりの大豆ミートを使ったハンバーグを一回ちょっと試しに出しましょうということになったんですね。
それも現場では結構反対があって、これだけハードなトレーニングをしているのに大豆を食わせるのかと反対されたんですが、ただ、そこはやっぱり何でこういうことを今、例えば海外のラグビー選手たちが取り組んでいるかということを知らないと、メディアで何か質問されたときに答えられないというのはやっぱりチームとしてどうなんですかということとか、かなりやりとりがありまして。それで昨年は1回だけ大豆ミートのハンバーガーを、クラブハウスという食事をとるところで選手たちに提供しました。
比較的若い選手たちは、SDGsとか環境とかそういったことを耳にしているので、あ、これ大豆なんだ。おいしい、おいしくないは別として、月に1回ぐらいだったらいいよというような選手もいれば、いや、ちょっとやめてくださいというような選手ももちろんいたんですけれども。
先生が先ほど学校の栄養士さんもすごく困っていらっしゃるとおっしゃっていた、SDGsという言葉だけがひとり歩きしてしまうというのは、私自身も常に気をつけなければいけないなと思いながらも、どうやって伝えていったらいいのか、本当に手探りをしているというのもすごく感じました。
あと、牛乳・乳製品に関しては、動物性の食品よりも植物性のほうが環境にいいとか、そういう考えを持っている方は結構ふえてきているので、牛乳・乳製品と環境といったときに栄養士がどう答えられるのかとか。あとは、果たしてご飯、みそ汁に無理に牛乳をつけること自体も、食文化というところではちょっと矛盾していると思うところがいつもあって、今日お話を伺っていて本当に栄養士という立場でどうやってSDGs、特に牛乳・乳製品のことを伝えていったらいいのかなとすごく考えさせられました。
A9.
  • ありがとうございます。選手たちと議論をしたというのが大事なことだと思うんですよね。「SDGsやるよ」と言ったら「はーい」とやるのが一番怖いと思います。学校の中でいえば、今、道徳のことがほとんど話題になっていません。道徳の教科化というときに、教科書どうする、評価はどうするとあれほど言ってたのが、もう手のひらを返したかのように、学校では今、ICTのことが話題になっています。
    道徳のちょっと前は英語が話題になっていました。つまり、すぐ喉元過ぎればになってしまうのが一番だめなことなので、先ほどおっしゃったSDGsの本質って何だろうなということをみんなで議論することが大切です。誰も知らないと思うんですよね、誰も答えはないと思うんです。だけど、これなんじゃないのかとか、こういうふうに考えてるんだけどと、そういうことを議論できるということがSDGs的なことなんじゃないのかなと私は思うので、きっと手っ取り早く答えを見つけないということでしょうね。
  • 質疑応答
Q10.牛乳・乳製品でいえば、やっぱり子どもさんの中でも親の影響で、ビーガンで牛乳・乳製品を食べないとか聞くことが有ります。でも、栄養教育ということを考えたら必須アミノ酸とか絶対必要だと思うんですけど、高校生が、環境を考えてSDGsを考えたら、肉は食べない、牛乳を飲まないようにしましたなんていうのが新聞の投書に載っていたことがあるんですね。アレルギーの子が食べられないというのはわかるんだけど、健康なのに思想的にそうなっちゃって食べないと。それはやっぱり教育でちゃんと教えていかないといけないんじゃないかなと思っています。
震災があったときに、牛乳が心配だというので、赤ちゃんに豆乳を飲ませるということがありましたが、それはリスクのトレードオフといって、放射能の影響よりも子どもさんに対する本当に大事な栄養を、豆乳というのは全く違うと思うんですね。最近はアーモンドミルクがいいとか。その辺のところを学校教育というか、お母さんたちにもしっかりしていけるような、何かそういう教育があったらいいなと思いました。
食育は農水省、文科省は学校、消費者教育というのは消費者庁がやって、これが全部縦割りということも課題と思っています。
あと、賞味期限と消費期限というのは未開封の状態でおいしく食べられる期間というのがなかなかわかっていただけなくて、賞味期限、消費期限という言葉が難しいので、おいしい期間とか農水がつくったんですが、それも浸透しない。これも学校教育なり家庭教育でしっかりしていけたらいいんじゃないかなと、皆さんのお話を聞いていて思いました。
A10.
  • ありがとうございます。
  • 質疑応答
Q11.SDGsと環境教育が同じ轍を踏んでしまうかというようなことがありました。私は本当に時々答えに窮する瞬間がありまして、例えばハウス栽培でキュウリをつくっているお宅に行ったときに、そこは休みなく働いて、ハウス栽培なので全部ビニールハウスだし、部屋を温めるので重油を使うし、選別をしてビニールに詰めて車に載っけてスーパーに行って、スーパーの売場で光にあたっていますので「キュウリの酢の物を食べるときは石油を食べてると思ってください」と言われて、えーっ、キュウリって石油なんだとちょっと思った瞬間があるんですね。
あるいは、ウクライナの問題とか感染症のコロナの問題があったときに、感染症だと全部使い捨てで全部プラスチックを使っていて、あれはSDGs的にはどうなんですかと言われても、ちょっと私も答えられないとか。あるいは、ウクライナから逃げてきた方たちに食事を提供するときも全部プラスチック容器なのは、ごみは全部どうなるんでしょうかと言われても、またそれも答えられないし。
つまり、先生もおっしゃっていたんですけれども、やっぱり17のゴールとそのターゲットにすぎないわけで、そのころというのはウクライナの問題も感染症の問題もなかったときに選定されたものであって、今はどういうふうにこれを捉えて、どういう方向に持っていくことが一番いいのかなと、先生のお話を伺いながらずっと考えていました。先生の教育の方法の中にもいろんなヒントがあったので考えているんですけれども、先生としてはこのSDGsと環境教育とが同じ轍を踏まないためにどういうことを一番指針にしていらっしゃるのかなというあたりを、ちょっとお聞きしておきたいなと思いました。
A11.
  • それこそがSDGsの本質は何かということを問い直すということにつながることですよね。私は「私は知らない。私は間違っている」というのを指針にしています。
    私は知らないから教えてもらうから、そこに知っている人を連れてきて、子どもに出会わせればいいんだから。でも、その連れてきた人がもしかしたら偏った思想を持っている人かもわからないから、この人は間違ってないかというのを常に思っているし、間違ってる人を連れてきた私が間違ってるんじゃないのかなと思わないといけないし。
    あと、先ほどの大豆ミートを出すときも、これはいいんだから、SDGsを考えないといけないんだから大豆ミートを出そうよと言って、ある強権を発動することは当然できるし。保護者との関係でいうと、いまだに子どもを預かっている部分もあるから、保護者も先生に言われると、そうなのかなとなってしまうけど、「どうですか」とか。もっと言えば、私は子どもにも聞くというのが大事だと思うんですね。子どもって何も知らないんだから、私が教えればいいんだというんじゃなくて、「どうなの?」って。「どう思う?」とか、授業の中でも「今日の授業どうだった?」とか、とにかく相手を子どもと思ったことは、現職の教員の最後のほうはなくなりました。
    若いころは、子どもを教えて、自分が教えたから25メートル泳げるようになったから、私は教師として役に立ってるんだなみたいなことが心地よかったんですよね。私が教えたから算数の点が上がったみたいなことに価値観を持っていたんですけど、あるときから、私がいないと子どもが育たないわけではないし、むしろ私が子どもを育てることを邪魔してることはいっぱいあるんだから、だったらもっともっと子どもたちがいろんなものにアクセス、つながることが大事だと。
    簡単に答えを持たないよう努力しています。これが多分、今の一番の答えなんだろうけど、これでもいいのかなとか、本当にそうなのかなとさらに探索していって、また違う情報が出てきたときに、やっぱりちょっと違ったのかなとか、こういうふうに見るようにしているというのが、私の授業をつくるときの自分の立ち位置なのかなと。だからSDGsも、SDGsを実現するということは確かに美しいんだけど、何か私たちが幸せな暮らし方、OECDのいうウェル・ビーイングを実現するためにはSDGsを使えばいいだけだというふうな考え方に立つと、もうちょっと楽になるかなと。子どもに教えてもらって、そこが変わりました。
  • 質疑応答
Q12.大学でジャーナリズムの授業をやるときがあるんですけれども、先生がおっしゃったように簡単に答えの出ない問題ほど貴重なので、疑いながら物を見ることとか自分の頭で考えることというのをやっているんですけど、今は本当にスマホで検索すれば何でも答えがあるので、むしろSDGsの教育というのは、命の循環とか社会のつながりとか食の循環とか、自分で何かを見つけ出していくことなのかなというのを先生のお話を伺いながら考えました。
環境・エネルギー問題も長年やっているんですけど、子どもたちはスイッチを押せば電気がつくので、電気のスイッチの向こう側をさかのぼったら何があるのかというのを環境・エネルギー教育でやったりして。日本エネルギー環境教育学会の先生たちを中心に、電力会社とか地域の送電線の会社とか自然エネルギーをやっている人とか、いろんなネットワークを利用しつつ、子どもたちにその現場を見てもらって考えてもらうということをやったりしていたんです。
先生がおっしゃったように、牛乳・乳製品はやっぱり地域の循環とか、それから牧草地が環境に対してどういう価値が、メリットがあるのかデメリットがあるのかとか、命を育むことってどういうことなのかとか、職業教育とか、いろんなことが入ってくると思うんですよね。なので、環境・エネルギーと並ぶぐらいとてもいいテーマだなとすごく思っていて、やはりもっと先生のように牛乳・乳製品について教育現場で扱ってもらいたいんですけど、牛乳・乳製品に対しては、全国の先生がアクセスして利用できるような、そういう教育のネットワークみたいなものはあるのでしょうか。お伺いできますか。
A12.
  • そこが多分課題だと思っています。実際に授業をしたいなと思ったときに、調べたいなとか、本当にそうなのかなといったときに、何を見ようかなというときの窓口がなかなかないというのが事実ですね。一つ、私が窓口になっているところがあるんですが、Jミルクが教材をつくっているからとりあえずのぞいてみてくださいねということ。あと、大手のメーカーさんのサイトというのは、これは先生方もすぐアクセスするので、そのサイトを見て牛乳・乳製品や食育のプログラムにかかわるような情報があると、そこに間違いなく入っていくというのがあるので。
  • 質疑応答
  • 私は2つ大事なことがあると思っていて、その窓口のようなものでいえば、小さな地域の循環をつくるという際には、今度は小さなメーカーさんが集まっている集合体みたいなところにサイトがつくられて、そこにアクセスする。例えば私が窓口になっているというのは、内田洋行さんが「学びの場.com」というサイトをつくっているんです。全国の小中学校の先生が実践を載せていたり、ICTの実践が載っていたりするポータルサイトで、そこに窓口があるから結構アクセスがあるんです。
    何でそこが窓口になるかというと、私が「食育と授業」というコーナーを、毎月1本、14~15年連載していて、いま一番よく電話がかかってくるのはテレビ局のディレクターで、「先生、野菜の浮き沈みの秘密を教えてください」とか「先生、かつお節が躍るひみつはどうなっていますか」と、私のところに連絡が本当に2カ月に1回かかってくるぐらい。ということは、みんな見てるんだろうなと。
    そこに例えば牛乳・乳製品の事例などを取り上げてるんですよ。それをきっかけにサイトに行くという可能性もあるし、私に聞いてもらったら私から言うし。だけど、大手のメーカーさんだったらある程度できることが、なかなかそこまで手が回らない、地域の循環をつくっている大事な役目である、中小メーカーさんが一緒になって何かのサイトみたいなものをつくるとか、そこから広げていく。うちの地域だったら誰かなって。もちろん酪農教育ファームという全国組織は当然あるし、それで事足りてるとは思うんですけどね。
    もう一つ、今度は学力観の問題として、今までは教師を通してそういうサイトにアクセスするというのが学習だったのですが、今はもう先生の目を通さないでアクセスする時代になってしまっています。エコフィードの授業をしたときに、私が教室に入ったときに、子どもが「うわっ、本物だ」と言ったんですよ。何で言ったかというと、みんな1人1台タブレットを持っているから、前の日に先生が「あしたは武庫川女子大学の藤本先生が授業に来ます」と子どもに言ったら、子どもは家とか休み時間に「武庫川女子大学藤本」って検索してるんです。その検索を見て、あ、この写真の本物だという反応になったということです。もう今は教師を介さずに、学校を介さずにどんどんアクセスするということになると、それに応えるような、いい意味の子ども向け、かつ若い子育て世代の人たち向けに何ができるかなと考えることが大切です。教員の手をかりずに、食習慣とか酪農乳業のファンを育てるための手だてをどうつくっていくかということだと思っています。