MEMBER

第88回 食料クライシスの引き金、それは畜産物の激減

牛乳・乳製品から食と健康を考える会 開催

供給熱量割合 国産割合

これから話題が少しずつ変わっていきますが、これは昭和35年です。これはよく農林水産省の書類に出てくるもので、別のところに使ったデータですが、平成25年と比べていますが、平成元年ぐらいとしても大丈夫です。ほとんど実は変わっていないのです。さきほどお話をしましたが、平成に入ってから現在までほとんど栄養状態は変わっていません。ずっと同じレベルで来ています。ここで注目することは、昭和35年ぐらいは米から半分ぐらいカロリーを取っていたのです。今、4分の1ぐらいになりました。ところが畜産物。わずか3.7%だったものが16.5%と4倍ぐらいに増えているわけです。それでもう一つは油脂です。4.6%から14.2%。つまり何かというと、米は炭水化物が主体です。畜産物はどちらかというとタンパク質プラス脂質で、三大栄養素全部のバランスが取れるようになってきたわけです、この昭和35年ぐらいはそういうわけではありません。本当に一汁一菜なのです。ご飯をたくさん食べて、菜っ葉を食べて味噌汁を飲む、そんな生活です。
では畜産物はどうかというと、確かに4倍以上に増えました。何が問題かというと、畜産物の国内生産というのは約40%です。これは牛肉についてですが、この上の60%ぐらいというのは実は輸入牛肉です。ですから国産分は40%ぐらいですが、これを生産するために輸入飼料を食べさせているのです。この輸入分というのは、輸入牛肉のことを言っており海外依存です。そうしますと、実は純粋に国内生産割合というのは1割しかありません。これがなくなったらどうなるかを考えたらすぐに分かります。豚肉はもっと依存度が高く、国内産はわずか6%。鶏肉は8%。一つの理由としては、豚・鶏のほぼ100%が配合飼料で育てています。ですから、非常に海外依存度が高いのは明らかなのです。こういうことを含めて、初めてそれが身長、脚の長さに反映されたということが分かるかと思います。

国内産/総量

既にだいぶ話したことですが、これについては農林水産省がものすごくこだわっています。食料自給率60%とか、31%とか、39%とか、非常にこだわります。ところが穀物自給率というのは一切口にしません。おそらく記者の方も農林水産省が穀物自給率に言及したことは知らないと思います。私も見たことがありません。ところが、一番重要なのは実はこれなのです。こんなのはどうでもいいとは言いませんが。だから最近では自給率を金額で表そうなどとしていますが、こんな馬鹿なことはありません。国産品は高く、大体輸入トウモロコシの7~8倍が米の値段ですから、高くなるのは当たり前です。しかし高いからって安全なことは一つもありません。
昭和35年というのは穀物の8割ぐらいを国内で生産していました。だから、畜産物は非常に少なかったのですね。ところが下がっていきます。ちょうどこの時代は何かというと、家畜や畜産物の生産が盛んになった時です。ですから、ここからも間違いなく言えることは、日本の畜産というのは海外からの穀物に依存して成立したということが分かります。それ以後は大体横ばいなのですが、横ばいと言うとかっこいいのですが、もう20%を少し超えるぐらいなのですね。本当に低いのです。しかし農林水産省はこれを上げる方策がないのです。ですから絶対に言わない。できるのは実は唯一米だけなのです。米ですとこれを上げることができるのです。ところが米は全然食べなくなくなりました。ですから、米を高くすればこれが上がるということで、農林水産省はこれしか言わないわけです。これからもこれが非常に問題であると考えます。
先ほどのことは、これには書かれておりません。後で付け加えましたので。ただし、食料・農業・農村白書にいくらでも出ておりますので、もし詳しい数字を知りたければ、そちらを参考にしていただければ正確な数字が分かります。私が加工したものではありません。

配合飼料と輸入先

次に配合飼料と家畜のことに入ります。配合飼料というのはほとんど家畜の飼料になっております。どんなものが配合飼料の原料になるかというと、トウモロコシ・コーリャン、その他穀物。これを一応穀物と言うのですが、実は農林水産省は穀物の中に大豆も含めております。ですから、穀物というのは大豆カスのここまで入る。約4分の3が占めることになります。
穀類輸入先はどこかというと、ほとんどがアメリカ・カナダ・ブラジル・アルゼンチン・オーストラリアで占められております。ですから非常に輸入先は少ないということが分かると思います。
日本の家畜というのは、言ってみれば穀類に依存して生産されている。それもほとんど外国産。これは平成25年度の使用量なのですが、これは全部合計しても生産量と同じで、約2,400万t。米の約3倍以上です。家畜の食べる飼料というのは、実は米の3倍ぐらいあるのです。2,400万tのうちの88%、これは農林水産省が言う数字で、それまでは90%だったのですが、なぜ急に2%も下がったのか私、よく理由は分かりませんが、でも9割ぐらいは全部外国産だということが分かるかと思います。ここに一つ危険性が潜んでおります。

畜種別配合飼料消費

ではどんな動物がどれだけ食べているかというと、平成24年度の畜種別配合飼料消費ですが、さきほどは25年度で約2,400万tですから量は同じです。家畜は変わりませんので同じですが、鶏・豚、これがもう圧倒的に多い。ここにブロイラーが入っておりますので、鶏・豚、これも鶏ですから、約4分の3食べているということが分かります。なぜ乳牛がこれだけの餌を食べるのか。今日はあまりこれについてはお話をしませんが、非常に不思議でしょうがないわけです。ブロイラーってすごく多いのですが、そんなに大きな違いがないのですね。なぜ牛がこんなに配合飼料を食べるのか。昔我々は、牛は草を食べて生きる動物だと習ったのですが、今の牛は実は穀物を食べているのです。これが不思議でしょうがないわけです。ですが、そこにも理由があります。

牛乳消費と国民所得
低い身長、胴長短足は日本人固有の特徴ではなく、栄養状態の悪さの反映であった

これはたまたま国民所得と牛乳消費ということをお話するために持ってきたものです。牛乳というのは昭和35年で1人あたり年間で20kg。それが90kgぐらいまで増えていき、その後どんどん減り始めます。総生産量で言うと最高820万tぐらいから、今、740万tぐらいでないかと思います。絶対量で大体1割5分ぐらい減ったんです。これは消費と書いてありますが、生産量と同じですから生産量です。ところが所得というのはもうほとんど横ばいなのですね。ちょうどこのあたり、バブル景気が終わるのですが、それからほとんど増えていない。むしろ減り気味だと。それで他の畜産物は大体平らで行くのですが、牛乳だけ減ったのですね。ですから、やはり所得というのは大きな理由だなということが分かるかと思います。

乳量の推移、1出産当たり

1出産あたりの乳量の推移です。乳牛の改良というのは昭和59年に始められております。昭和30年、40年代は4,000kgから4,500kgぐらいで、この時に比べれば6割ぐらいだったのです。昭和50年代でも大体こんなものでした。この時代は何かというと、さきほど話したように輸入穀物というのはほとんど牛に与えておりません、この時代は、日本で取れる稲藁・野草・野菜くず、その他米糠とかいわゆる自分の身近なところで得られるものが餌となっていた。それで牛を飼っていたということがこれから分かります。実はこの4,000kg~4,500kgというのはこれ実はとても大切な数字なのです。配合飼料を与えない限り、牛はこれしか乳を出しません。これが伸びたというのは、これは私の先輩がよく言うのですが、大体5,500kgぐらいから初めて平成20年度に8,000kgを超えたのです。牛の改良が始まってから、どんどん伸びていったのですね。ですからこれがすごい成果だと言うわけです。私も学生を教えていた頃は、このあたりでしたから、確かにすごいなと思っていて、嘘とは言いませんが、よく考えないで学生にお話をしていたということになるわけですが、実はここで重要なのは、もし草で飼おうとするとこれぐらいがマキシマムであること。こんなふうに大きな増加を起こすには、配合飼料を与えない限りは駄目だということです。

酪農家戸数の推移

それで、さきほどもお話をしましたが、なぜ乳牛に配合飼料をいっぱい食べさせるのかということになるわけですが、実は全部これを支えるための配合飼料だったのです。
ところが、農家戸数の推移というので見ますと、全国で見ますとかなり減っているわけです。昭和35年というのは41万戸ぐらい、北海道で6万戸ぐらいの酪農家があったのですが、それがこういうふうに減ってしまったと。その次にこれは一体何を示しているかなのですね。実はこのあたりから牛乳の生産量、1頭の生産量は多いのですが、とても飼いにくい牛になったのです。つまりデリケートな牛になったのです。乳はいっぱい出しますが、非常にデリケートで飼いにくい。だからそこら辺に草をほったらかしておけば乳が搾れるなんていう牛ではもうなくなったのです。そうなりますと、特に全国ではすごい減少が始まるわけです。北海道はやはり酪農で生きているというだけあって、最初はかなり減りましたが、そうは減らない。やはり酪農で生きなければいけない。しかも酪農のプロがいる。そういうことで、多少デリケートな牛でも飼える。そういうことがここに反映されているわけです。

経産牛の推移
乳牛の品種改良の目標

それでこれ経産牛というのは、一応子牛を産んで乳を出したことがある牛のことなのですが、昭和35年の45万頭ぐらいから最初はずっと増えたのです。この場合、乳はあまり出さない牛ですから、1頭から絞れるのは4,000kgぐらいで、それを初期のあたりは数でカバーしていったわけです。ところが、このあたりからかなり減ります。約90万頭から80万頭ぐらいまで減ってしまいました。最盛期から見れば45万頭減りました。ところが全国の乳量生産ってそんなに変わらなかった。それはなぜかというと、確かにこれだけ減ったのですが、1頭たりの乳の生産っていうのは、ちょうどそれに見合うだけ増えたわけです。1頭あたりの牛が出す乳量×頭数ですからほとんど変わらなかったのですね。ですから、牛頭数は減ったのですが、あまり目に見えて牛乳が減ったなということは起こらなかったのです。ところが、さすがにそれも無理がありまして、このあたり、平成20年を少し過ぎた頃から、やはり減りだしたのです。もう無理がたたったのですね。このあたりまでは1頭あたりの乳量×頭数でカバーできたのですが、それができなくなった。こういう問題がこれから分かります。