ヒト腸内細菌叢の特徴
ところが、遺伝子解析がすごく大きな力を持つようになってからその様子が一変します。2003年にヒトのゲノム計画といって、人間の全遺伝子を解読するというプロジェクトがほぼ完成して、ヒトに共生している菌や腸内細菌、ヒトの体のすべてのところにいる菌を片っ端から調べ尽くすことが可能になりました。そして2008年頃に遺伝子解析による人細菌叢解析プロジェクトがヨーロッパと中国、それからアメリカを中心に立ち上がりました。
左のMetaHITとは欧州と中国による消化管細菌叢のメタゲノム解析プロジェクトです。腸の中にいる細菌の遺伝子を全部調べてやろうというものです。
このメタゲノムと申しますのは、人間の場合はひと揃いの遺伝子を全部調べればそれで終わりなのですが、腸内細菌は何しろ100兆個いますので、その100兆個の菌が持っている遺伝子をすべて明らかにするというプロジェクトです。例えば、その菌が人間だとすると、人間が100兆人いて、そのすべての人の遺伝子をすべて調べるというプロジェクトですので、すごく大規模な遺伝子解析をすることになります。
それが可能になったのが次世代シーケンサーという遺伝子を解析する手法なのですが、この新しい仕組みの遺伝子解析の装置を使うことによって可能になりました。
このプロジェクトが始まってから4~5年後くらいに成果が出てきました。左の図はサイエンティフィックアメリカン(SCIENTIFIC AMERIACAN)という科学雑誌の表紙ですが「あなたの体の中の生態系」というタイトルで、人の形になっていますが、よく見るとすべて菌で作られています。つまりあなたの体の中にこういう菌による別の生態系があると示しています。
その右はサイエンス(Science)という科学雑誌で、この表紙は腸内細菌叢(ちょうないさいきんそう)の写真です。これを見てお花畑と思えるかどうかは、なかなか難しいところかと思います。
もう一つネイチャー(nature)というこれも科学雑誌ですが、この場合は「一緒に旅する者たち」ということで、ヒトの表面にたくさんいる菌は一緒に旅をしている同志だ、ということを言っています。
その結果何がわかったかというと、ヒトの遺伝子というのは約2万2,000個しかありませんが、それに対して腸内菌の総遺伝子数は約330万個で、ヒトの遺伝子の約100~150倍。それだけの数の遺伝子がこの腸の中に存在していることが分かってきたわけです。
この大規模な遺伝子解析で、ヒトの腸内細菌というのは大体どういうものなのかということが分かってきました。その結果、健康な人は3つの腸内細菌叢型、これをエンテロタイプといいますが、3つのタイプに分けられることが分かってきています。
ここに1型・2型・3型とありますが、例えばこの1型というのは、日和見菌のうちの一つのバクテロイデス属が多い群で、この群は高脂肪・高タンパク質の食事を食べている人たちに多く、米国・中国・デンマークなどで多いタイプです。
2番目は高炭水化物・高食物繊維食を食べる傾向のある中南米・アフリカなどで多いプレボテラ属という菌が多い方々です。
日本では3つ目のルミノコッカス属という菌が多いタイプが多いです。前の2つのグループの中間的な食事をとる方、しかも日本や北欧などのように魚を食べる文化、そういうところに3つ目のタイプが多いと言われています。
この3つのタイプは、性別や人種・年齢には関係がありませんが、食べているものに非常に大きな影響を受けていて、摂取する炭水化物・タンパク質・脂肪のバランスといった日々の食事内容がこれらの腸内細菌叢型、エンテロタイプの形成に寄与していることが分かったということです。ですが完全にこの3つに綺麗に分けられるかというとそういうわけではなくて、基本的にはこういうような傾向があるというそれぐらいのタイプだと言われています。
これはターザンという雑誌の腸トレ特集号に掲載されたものですが、健康な20代から40代の男女22人分の腸内細菌に、どのような菌がいるかを示したものになります。
これを見ていただくとバラバラなんですね。この22人はみんな日本人ですが、日本人の中でもそんなに一定しているわけではなく、かなり人によって異なっているのが分かります。そして腸内フローラは一つの臓器であり、しかも自分で改変可能であるということ。これは食生活を変えることで変わってくるということです。また体質とは腸内環境の違いであり、大腸ガンが増えたのは、腸内環境の変化によるのだということが書いてあります。腸内細菌叢がこのように一人ひとり違うとなりますと、腸の中でどういう物質ができてくるのか、つまりどういう菌がいるかというだけではなく、その菌がどういうものを作り出すかということが変わってきます。それが私たちの健康に大きな影響を与えていて、体質の違いだと言えるのではないか、腸内細菌叢が違うことが、いろいろな体質の違いにつながってくるということです。
そのうちの代表的な例がこの「痩せフローラ」です。どういう実験をしたかというと、肥満の人から腸内細菌叢を取ってきて、菌が全くいない無菌マウスに植え付けます。逆に痩せている人から取ってきた痩せフローラを別の無菌マウスに植え付けます。そしてそれぞれのマウスに同じ餌を食べさせます。すると肥満フローラのマウスは脂肪の量がどんどん増えていき、ところが痩せフローラのマウスはあまり増えていかないということです。もともとは無菌だったので、植え付けられた菌の違いだけで肥満・痩せが再現できてしまうということになるわけです。どうしてこういうことが起こったのかをご紹介したいと思います。
ヒト腸内細菌叢はどういうことをしているのかといいますと、腸内細菌が短鎖(たんさ)脂肪酸を作るとあります。短鎖脂肪酸とは何かというと、酢酸つまりお酢ですね。
お酢は炭素の数が2つですが、さらに鎖が長くなった、炭素が3つのプロピオン酸、4つの酪酸(らくさん)といったものが短鎖脂肪酸と呼ばれるものです。
脂肪酸というのはこの酢酸つまりお酢に炭素の鎖が長くつながったものです。私たちが食べるいわゆる脂肪というのは、この脂肪酸が3つくっついてできています。ですから、脂肪を分解すると脂肪酸というものができるのですが、炭素の鎖が長いものもあれば、短いものもあります。炭素の鎖がすごく短いもの、その代表が酢酸つまりお酢で、それらを短鎖脂肪酸と言います。
腸内細菌は餌になるようなものを食べると、それを分解して短鎖脂肪酸を作り出します。腸から吸収された短鎖脂肪酸が全身を巡って、脂肪の細胞に働くと、脂肪の蓄積がストップする、あるいは神経に働いて、全身の代謝が活発化する。そうすることで肥満を防ぐというようなことがあるのではないか、と考えられています。
短鎖脂肪酸を作るのが腸内細菌の非常に重要な働きなのですが、そうすると、肥満を防ぐ以外に病原菌の繁殖を抑制できたり、体を守る力が強まったり、免疫機能を正常化することができるようになります。
それ以外に腸内細菌叢は、ビタミン類や、タンパク質の原料になるアミノ酸を作りします。さらに、有害菌の腸管への接着を阻害する、有害菌が腸の中にとどまらないように防いでやるというのも腸内細菌の働きになります。
- 腸内細菌叢と健康 -
先ほどの話の続きですが、夢の痩せ菌かといわれている菌が最近、いくつか見つかっています。名前はなかなか覚えにくいのですが、肥満度指数の低い人の腸内には「クリステンセネラ・ミヌタ」という菌が多く存在していて、この菌をマウスに定着させると体重増加が抑制される、だから先ほどのような痩せマウスには、こういう菌がいたのではないかと考えられます。
もう一つ「アッカーマンシア・ムシニフィラ」という菌も、やはり体重、それから肥満度指数・コレステロール値・血糖値が高い人の腸内では、正常な人に比べて少ない。この菌がたくさんいれば正常な値になると、肥満や糖尿病との関連性が指摘されています。
今年の7月に出たある論文では、このアッカーマンシア・ムシニフィラを低温殺菌し、サプリメントとして3か月間食べてもらった人達は、偽物の薬を同じように3か月飲んだ群と比べて体重が減少する、総コレステロール値、インスリン感受性も改善するということでした。しかもこの菌は低温殺菌した状態で食べてもらっていますので、殺菌された菌がこのようなことをもたらすということで、非常に重要な発見と言えます。
これをいろいろな食品あるいは薬品として活用し、あとはこれを使ってどういうメカニズムで痩せるということが実現しているのか、それを研究していく材料になると思います。
今度は腸と脳の関係です。腸と脳には相関関係があるとありますが、腸内細菌がいろいろな物質を作り出す、あるいは腸内細菌が腸に作らせる、そうすると、それが神経を伝わって脳に伝わる。そうすることで脳と腸との関係というのが、いろいろなところで関係してくるということがあります。
そのうちの一つの例がうつ病と乳酸菌の関係で、うつ病患者では腸内細菌の中のビフィズス菌や、乳酸菌の数が少なかったという研究結果があります。
右が健常者57名、左は大うつ病性障害患者群43名で、それぞれの腸の中のビフィズス菌の数を示しています。
そうしますと、健常者には多いのですが、うつ病の患者は少ないことがわかります。そしてこのカットオフ値よりビフィズス菌の数が少ない人たちがどれぐらいいるかというと、健常者では23%しかいないのに、うつ病の人は約半分が少ないグループに入るということで、腸の状態と脳の関係が実際にあるのだということになります。
もう一つ驚くのは自閉症です。自閉症と腸内細菌の関係がいろいろ分かってきています。腸内細菌が変化することによって、自閉症になってしまうと。非常に驚きの結果だと思うのですが、そういう腸とは全く関係なさそうな病気が、腸内細菌との関係で起こっているということになります。
このように腸内細菌叢が変化して異常になってしまうと、いろいろな病気が起こってくる。それを示す言葉が「ディスバイオシス」というものです。これは腸内細菌叢の異常を示す言葉で、どういう状態かといいますと、腸内細菌の種類あるいは数が減少し、細菌叢の多様性が低下した状態です。最近世の中ではダイバーシティということが随分言われていますが、多種多様な人々が作っていくのが健全な社会だと言われるように、腸内細菌にも同じような状況がありまして、やはり多様であることが健康を保つ上で非常に重要であるということが分かってきています。
ではどういう場合に腸内細菌叢が異常になってしまうかというと、外因性の原因としては抗生物質があります。私たちは病気を治すために菌をやっつける抗生物質を服用することがありますが、それは体の中にいる腸内細菌に対しても効いてしまうわけですね。もちろん病気を治すために非常に重要なものですが、それは一方で腸内細菌叢に異常を与えてしまう可能性もあると。それから、偏った食事やあるいは病原体の感染などが起こると、この腸内細菌叢の異常が起こってしまうということになります。
内因性の原因としては、遺伝的な素因とか免疫異常などがあります。
これが起こりますと様々な疾患、自閉症やうつなどの神経疾患、あるいは肥満、あるいは免疫異常・動脈硬化、それから炎症性の腸疾患など様々な疾患の病因となるといわれています。これを改善するにはどうしたらいいのかというと、一つは食生活を正しくしていくのが一つの解決策かとは思いますが、医療として今何が行われているのかというと糞便微生物移植です。これは、健康な人の糞便を取ってきて、そこの中にいる腸内細菌を病気になっている人の腸に移植する。そうすることで健康を取り戻してもらう。そのようなことが医療行為として行われており、実際に研究が進んでいます。
- プロバイオティクスとプレバイオティクス -
ここまでが腸内細菌についての話ですが、プロバイオティクスとプレバイオティクスについてもう少しご紹介します。
このプロバイオティクスというのは、体にいい働きをする微生物のことですが、その言葉が作られたのは1989年です。
それよりもっとずっと前に、そのプロバイオティクスの概念の原点となるようなことを打ち出したのがメチニコフという方で、ヨーグルト不老長寿説を唱えられました。この人はロシアの微生物学者で、免疫に関係する細胞を見つけてノーベル賞をもらっています。
老化はなぜ起こるのかについての研究で、老化とは腸内細菌の生成する腐敗物質による自家中毒であるという仮説を立て、ではどうしたらいいのか、ブルガリアの長寿者はヨーグルトを常食しているではないか、ではヨーグルトに含まれる乳酸菌で腸内環境を改善すればいいのではないかという結論を得て、それをこの「長寿の研究」という本の中で述べています。これがプロバイオティクス、体にいい働きをする乳酸菌、あるいはそういうものの原点となる考え方になります。
プロバイオティクスというのはビフィズス菌や乳酸菌などで、適切な量を摂取することでヒトに有益な作用をもたらす生きた微生物のことをそう呼んでいます。
プレバイオティクスは食品成分です。菌ではなくて食べ物の方で、難消化性の食品成分でヒトはなかなか消化できないものです。最初に申しましたように、食べ物は小腸で消化して吸収され、そこで消化・吸収されなかったものは大腸に行きます。そうすると、そこに腸内細菌がたくさんいるので、その腸内細菌の餌になる、そういうものがこのプレバイオティクスです。
その働きには非常にいろいろあるのですが、例えば腸内フローラのバランス改善、消化管運動の制御、便秘・下痢の防止などで、いわゆる「整腸作用」といわれているものです。これは「特定保健用食品」の健康表示として認められているものになります。それ以外にビタミンを合成するとか、乳糖の消化性を高める、発達を促進するといったことがありますが、例えばこの乳糖の消化性を高めるというのは、最近牛乳を飲むとおなかがゴロゴロする乳糖不耐症というのが問題になっていますが、これを改善する効果がプロバイオティクスにあると考えられています。
それから免疫系の働きを高める、アレルギーを予防する、がんを予防する、腸内感染を防御するというような働きがあるともいわれています。免疫の働きに対する作用以外にも骨粗鬆症や、動脈硬化に対する予防効果も報告されています。