第84回 牛乳・乳製品から食と健康を考える会 開催

「日本における乳文化の導入とその後の変遷史」

【日時】
平成27年11月9日(月)15:00~17:00
【会場】
乳業会館3階 A会議室
【講師】
信州大学名誉教授 細野 明義
細野 明義
【出席者】
「牛乳・乳製品から食と健康を考える会」委員
消費生活アドバイザー 碧海 酉葵
管理栄養士 荒牧 麻子
毎日新聞記者 今井 文恵
ジャーナリスト・実践女子大講師 岩田 三代
江上料理学園 院長 江上 栄子
評論家・ジャーナリスト 木元 教子
日本大学芸術学部特任教授 菅原 牧子
科学ジャーナリスト 東嶋 和子
産経新聞文化部記者 平沢 裕子
(50音順)
乳業メーカー:広報担当
乳業協会:石原常務理事他
専門紙記者
【内容】
今回は、委員の皆様からご要望のあった、「日本の乳製品の発達」に関して、乳製品が歴史上登場してから現在に至るまでの変遷について改めて認識していただこうと考えた。そこで乳製品の歴史や技術に造詣の深い、前日本乳業技術協会代表理事であり、信州大学名誉教授でもあります細野明義氏にご講演をお願いした。

古代日本における乳文化の開花と衰退

古代日本における乳文化の開花と衰退です。
9世紀のはじめ52代嵯峨天皇の命によって編纂された「新撰姓氏録(しんせんみょうじろく)」には、大化の改新の頃に帰化人の善那(ゼンナ)が36代孝徳天皇に牛乳を献上したことが記されております。日本人が「乳」に出会った始まりがいつであったかの問に対し、善那が帝に牛乳を献上したことをもって嚆矢としているのが定説になっています。
西暦900年頃、醍醐天皇の時代になりますが藤原時平が「延喜式」を著しております。「延喜式」とは今日で言うと、法律のようなものです。その中に西暦700年頃、天武天皇が諸国に命じて「蘇(そ)」を作らせ、献上することを義務づけております。この貢蘇(こうそ)の制度は鎌倉幕府が滅亡する1333年まで続きました。つまり、善那(ゼンナ)から始まり鎌倉幕府滅亡までの約700年間にわたって古代日本において乳文化が栄えたことになるのです。

斉民要術

「蘇」とか「酪(らく)」といった古代の乳製品の説明です。その原典は中国の6世紀の南北朝時代、日本では古墳時代に相当しますが、賈思勰(カシキョウ)という人物が著した「斉民要術」にあります。「斉民要術(さいみんようじゅつ)」は世界最古の調理書として有名です。この中に様々な乳製品が出てきます。具体的に「酪(らく)」、「乾酪(かんらく)」、「漉酪(ろくらく)」、「酥(そ)」、「馬酪酵(ばらくこう)」の作り方の記載があります。また、「酵(もと)」、「酸(すっぱい)」、「火入(ひいれ)」、「断(きれる)」という字も出てきます。特に「断(きれる)」は牛乳が醗酵すると固まり、そこに雑菌が入るとカードが割れます。このことを言っています。

古代日本における乳製品の系統図

この図は古代乳製品の製法を表したものです。
「酥」とは牛乳を放置しておくと表面にクリーム層が浮いてきます。これを「浮皮(ふひ)」といい、これを掬い取ったものです。
「醍醐(だいご)」とは「酥」を加熱し「浮皮」を何度も掬い取って加熱を繰り返し、濃縮して出来たもので、現代で言えば「バターオイル」です。
「(湿)酪」とは、クリーム層をとった残り(残液)を醗酵させたもので現代では発酵乳に当たります。
「乾酪」とは(湿)酪を煮詰めて更に日光で乾燥させたものです。「乾酪」を西洋のチーズの和名として説明している書物がありますが、西洋型チーズと古書に記される「乾酪」とは全く別なものだと私は思います。
「淳酪(じゅんらく)」とは牛乳を醗酵させ布袋に入れて吊るし水分(ホエー)を除去するとその中に固形物が残ります。それを釜で煮たものを言います。
「漉酪」は「淳酪」を日光で乾燥させたものを言います。このようなものは現代日本にはありません。
「蘇」は一日かけてゆっくりと攪拌しつつ加熱濃縮したものです。これは前述の「延喜式」に定められています。「延喜式」は法律ですが、現代で言えば「省令」に相当するものです。なお、「蘇」は「斉民要術」には記されておりません。日本固有の乳製品と言えるのです。

貢蘇の儀

「貢蘇の儀(こうそのぎ)」というのは、先程申しましたように第60代醍醐天皇が藤原時平に命じ完成させた「延喜式」に「蘇」の作り方が載っています。これは文献上のことでしたが、昭和60年、平城京長屋王邸跡から出土した木簡に「生蘇(なまそ)」の文字があり、このことで「延喜式」の記述が間違いの無いものであることが証明されました。

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