第95回 牛乳・乳製品から食と健康を考える会開催

翳りを見せる完全栄養食品神話

翳りを見せる「完全栄養食品」神話

60年代まで、高度成長期までは、いかに栄養を豊富に摂取するかが日本人の課題でしたが、70年代になると逆に今度は、食べすぎが問題になっていきます。
主食と副食の栄養バランスが戦後最も理想的だったと現在、言われているのは1975年前後の食事ですが、現実には、肥満と成人病、今の生活習慣病がじわじわと増加して、いかに栄養を減らすかに課題が移りつつありました。
こうしてダイエット志向が強くなるのと並行して、牛乳の完全栄養食品神話は翳りを見せるようになります。

最初に牛乳にダメージを与えたのは農薬汚染問題です。1969年頃から、牛の飼料の稲わらについていた農薬のBHCがそのまま牛乳に残留していることが問題視されて、その残留量が欧米の牛乳の10倍以上、中にはWHOが定めた人体許容量の40倍近いものもあったと厚生省が発表しました。
BHCは、DDTと同じように、敗戦直後から進駐軍の命令で導入され、大量に使用された農薬で、環境中で分解されにくく、毒性が強いことがこの頃わかってきたのです。
特に注目を集めたのが牛乳で、当時「BHC牛乳」と呼ばれて、「サザエさん」のテーマに取り上げられたほど、大きな社会問題になりました。

1970年12月にBHCは製造中止となり、翌年、散布も禁止されましたが、今度はBHCBに発がん性があるとマスコミが報道して、またまたショックを与えるという事件がありました。実は1960年頃に、牛乳を1日3本飲んでおけば胃がんにならないという説が話題になったことがありましたが、今度は牛乳自体に発がん性ですから、最高の保健飲料だと信じて飲んでいた日本人にとってショッキングな出来事でした。
結局、発がん性は証明されませんでした。しかし、BHCだけではなく、牛に与えるホルモン剤や抗生物質にも発がん性があると主張する学者や有識者が現れて、また週刊誌で盛んに取り上げられるようになりました。

それまで牛乳のことを悪く言う人はあまりいなかったのに、70年代になっていきなり害悪論が噴出してきたという感じです。

牛乳否定本の登場

牛乳否定本の登場

害悪論者の急先鋒が、森下敬一というお医者さんでした。この人は、病気は食事で治す、薬を一切使わずにがんを玄米菜食で直すという自然医学を唱え、戦後にがんや心臓病が増えたのは食の西洋化が原因というのが持論でした。出した健康本は約100冊、60年代から雑誌にもしょっちゅう登場するマスコミの売れっ子でした。この森下医師は1984年に、そのものズバリの「牛乳を飲むとガンになる!?」という本を出しました。

どういうことが書いてあるかというと、牛乳のたんぱく質と脂肪は血液を汚して、体内のいたるところに炎症を発生させる。さらに、牛乳は大量生産・大量消費のアメリカ文化の象徴で、工業製品に堕している。発がん性だけでなく、超高温殺菌で肝心のたんぱく質とビタミン類も失われていると、徹底的に糾弾しています。それほど売れた本ではありませんが、今の牛乳否定本のまさに原形です。反米思想と結びつくことで、牛乳害悪論は強化されました。

それが1995年に出版された「粗食のすすめ」という本につながっていきます。この本も、戦後の栄養改善運動を否定し、「今こそ粗食に帰るべき」と説いて、140万部の大ベストセラーになりました。
欧米型の食生活を理想とするのは錯覚である、日本人の伝統的な食生活を見直そうというのが主旨です。具体的には、肉と牛乳とパンをやめて、ご飯と漬物、みそ汁をしっかり食べれば、おかずは野菜と魚を中心に、少しだけ摂ればよい。ようするに、日本が貧しかった頃の粗末な食事に戻れば健康になれるというものです。

ただ、「粗食のすすめ」は、牛乳に関しては、批判はしているものの、カルシウムはサクラエビやひじきより少なく、殺菌時にほとんど破壊される可能性が高い上に、日本人は乳糖不耐なので飲まなくてよいと、まあまあ穏やかな論調だったのに対して、最初に紹介した2005年発売の「病気にならない生き方」は、牛乳を猛毒扱いにして、コテンパンに批判しました。
中身はトンデモ話だらけですが、何かを徹底的に敵視するという論法はものすごくわかりやすいので社会的影響力はかなり強く、牛乳の消費量は実際、この本のせいで減ったそうです。

以降も、定期的に牛乳否定本が世に出て、内容はいつも変わり映えしないマイナーチェンジにもかかわらず、一定の影響を与えています。インターネット上も同様なサイクルが続いています。

スーパーフードになったバター

スーパーフードになったバター

逆に、最近、アメリカの最先端のダイエットでは、乳脂肪がスーパーフード的な地位を獲得しています。
2015年に翻訳書が出た「シリコンバレー式自分を変える最強の食事」は、IT長者のデイヴ・アスプリーさんが、科学的根拠の高い栄養学の最新理論を徹底的に研究して編み出したという、痩せるだけではなく、エネルギーと回復力が向上して、しかも頭がよくなって人生の勝ち組になれるというダイエット法を解説した本です。
頭までよくなると言われると眉唾に聞こえますが、一般向けの健康本としては珍しく、巻末に参考文献や論文のリストが掲載され、エビデンスレベルが高そうに感じます。
従来のダイエットの常識を覆してアメリカ人の食生活を変えたと言われ、アメリカでベストセラーになりました。

日本でもとてもよく売れて、最強の食事、あるいは最強というフレーズが、今現在、いろいろな健康本の題名に使われています。
私たちは高脂肪・高カロリーの食事はダイエットの敵と信じてきましたが、この本は、低カロリー・低脂肪のダイエット食品はむしろ全世界に肥満をはびこらせてきたと断言し、正しい食品から十分なカロリーを摂ること、しかも1日のカロリーの50%から70%を正しい種類の脂肪で摂るように提唱しています。この50%から70%という数字はかなりの驚きですよね。

では、彼の言う正しい脂肪は何かというと、何と「飽和脂肪酸」です。特に著者が強く推奨するのは、バター及び動物の脂肪です。これまではコレステロールを増やし、心臓病の原因になるとされていましたが、「60万人以上の被試験者の協力を得た76件の学術研究の緻密な分析」により、心臓病とは関係がないことが判明したと書いています。
バターの中でも、彼が強く推すのが、グラス・フェッド・バター、牧草飼育の乳牛のミルクからつくったバターです。
この本のヒットで、日本でもデパートやスーパーマーケット、通販にグラス・フェッドを名乗るフランス製やニュージーランド製のバターが突如として並び出して、よく売れているようです。

日本でも、バターや卵を食べすぎるとコレステロールが増え、動脈硬化のリスクが高まると考えられてきましたが、今ではコレステロールに対する考え方が、「悪者」から「体にとって必須な成分」に変わってきています。
厚生労働省は、2015年版の「日本人の食事摂取基準」で、食事でのコレステロール摂取制限を撤廃しています。厚生労働省はその理由を、「目標量を算定するのに十分な科学的根拠が得られなかった」と説明しています。

飽和脂肪酸については、今も上限が設定されていますが、「乳製品由来の飽和脂肪酸摂取は心血管疾患を予防するが、肉由来の飽和脂肪酸摂取は心血管疾患のリスクとなっている」というただし書きがついています。乳脂肪はよいのです。
アメリカでも、2014年6月17日号の「TIME」誌で、「この40年余りの脂肪指導は誤りであった」という特集記事を掲載しています。題して「Eat Butter」(バターを食べなさい)。副題は、「科学者は脂質を敵とみなした。彼らはなぜ間違えたのか?」です。
論争は今後も続くでしょうが、ともかく以前のように食品中のコレステロールを気にして動物性脂肪を控えすぎると、逆に体にあまりよくない、という説が主流になりつつあります。

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