第95回 牛乳・乳製品から食と健康を考える会開催

牛乳は近代最初のスーパーフード

牛乳は近代最初の「スーパーフード」

このように明治初期には、牛乳の薬効に関する言説がどんどんヒートアップして、もはや何にでも効く奇跡の妙薬扱いになっていきます。
代表的な欧化論者の福沢諭吉は、食の西洋化のオピニオンリーダーとしても活躍しました。牛乳に関しても、奨励のキーパーソンでした。彼が明治3年に書いた「肉食之説」というパンフレットでは、「身体虚弱の者すべてに欠かせない妙薬」「万病に効く薬」「不老長寿が実現する」「体が健康になる上に頭もよくなる」と、過剰なまでの表現で絶賛しています。現代では法律に抵触するレベルの誇大広告です。

あたかも万能薬のように、これさえ食べれば、あるいは飲めば、あらゆる病気が治って健康になると謳う健康食品は、最近、「スーパーフード」という呼ばれ方をしています。
このように、知識人による華々しいプロパガンダを引っ提げて登場した牛乳は、これさえ飲めば健康になると謳われた「元祖スーパーフード」の栄養ドリンクだったと私は考えています。

牛乳・人乳論争

牛乳・人乳論争

赤ちゃんを育てるには人乳がいいか牛乳がいいかとは、牛乳が登場した当初から、重要な問題でした。
私が考えるに、牛乳批判が現在のようにいきおい感情的になり、敵視されがちなのは、嗜好品ではなく、母乳の代替品だったり、子どもの成長に必要な完全栄養食品に位置づけられたことが関係するのではないかと思ったりします。
あらかじめ、母性的な性格を付与されたがために、その期待に反したときの風当たりが必要以上に厳しくなって、攻撃が強くなるのではないかと思います。

先ほど言ったように、牛乳には肉食のような江戸時代からの連続性がありませんでした。そこで、超自然的な薬効に加えて、母乳のかわりに使えるというメリットが常に強調されて、受け入れるための重要な動機づけになりました。
明治天皇が牛乳を飲んだことを報じた「新聞雑誌」の同じ号の広告では、ゴムチューブの先に乳首がついたガラス製の哺乳瓶、その名も「乳母いらず」をイラスト入りで紹介して、母乳の少ない婦人はこの「乳母いらず」を使って牛乳を与えれば、母乳と同様に飲み、乳母に支払う給料と、乳母が病気にかかっていないか、賢い人かそうでないかを調べる労力を省けると、お得感を宣伝しています。
健康かどうかはともかくとして、どうして賢いかどうかが問題かといえば、お乳を通じて、授乳する人の性格、性質や精神状態が赤ちゃんに伝わって大きな影響を与えると考えられていたからです。

注目したいのはこのあと、「成長した後も自然と病気にかかりづらく、体力のある元気な子になる、西洋では生まれて3ヶ月も過ぎれば母乳が出ても牛乳を与える、日本人も試して効果を知るべし」と、やはり特殊な効能をアピールしていることです。
また、この宣伝が出る前の「新聞雑誌」にも、牛乳や乳製品で育てれば自然と根気が鍛えられて体も強くなるという記事が掲載されています。
このように、牛乳が登場した当初には、人乳より牛乳保育のほうがすぐれていると宣伝されました。それまでは母乳が出ない場合は、“すりこ”といって米の粉を湯で溶いたものや重湯を赤ちゃんに与えていたのですが、とても栄養が足りるはずはありません。動物の乳で人間の子を育てるという発想は、子育て革命だったわけです。

明治の育児書は翻訳書からはじまります。日本人による初の体系的な育児書は、明治22年に出版された「はゝのつとめ」だとされています。
著者の三島通良は小児科専門医で、初版を出したときはまだたったの23歳でしたが、その後、版を重ねて、育児の教科書的な存在になりました。この本は、国立国会図書館デジタルコレクションで読むことができます。非常に実践的で、牛乳の選び方や火の入れ方や与え方について、微に入り細に入り、注意すべきポイントがとても丁寧に説明されていて、編集者的に見ても実用書の鑑のような本です。牛乳の選び方では、牛を飼っている牧場の面積や餌の種類にまで言及しています。
ここで三島通良は、母乳にかわる滋養物はないと、はっきり書いています。
それでもさまざまな事情で母乳がないときはやはり牛乳が第一ということで、細かく注意点が解説されていますが、一番重要としているのが哺乳瓶を清潔に保つことです。スライドにあるのが当時の哺乳瓶です。「乳母いらず」よりゴムの管が短くなっていますが、それでも完璧に滅菌するのは難しかい形ですね。

「はゝのつとめ」をきっかけに、日本人の書いた育児書が一気に世に出ました。ほとんどすべてが三島本を踏襲し、まず人乳が一番、やむを得ない場合は牛乳が一番、そして牛乳を使うときのノウハウという構成になっています。

牛乳俳斥論の台頭

牛乳俳斥論の台頭

牛乳が最初から完全栄養食品だったとしたならば、それでは「牛乳害悪論」はいつから登場したかという問題です。

こうした賛美される健康食品には必ず反対意見が出るもので、人乳と牛乳の比較論は明治20年代から盛んになり、現代と共通する牛乳批判は明治30年代から登場しました。
その原点になったのは、石塚左玄が提唱した「食養」という食事療法です。
石塚左玄は、近代医学と薬学を学んで、陸軍で少将まで出世した医師兼薬剤師でしたが、明治維新以来の西洋崇拝と肉食礼賛の風潮を痛烈に批判しました。
明治30年代には思想の世界でも国粋主義が台頭してくる時代ですから、食の国粋主義と考えていいのではないかと思います。
石塚左玄の考えでは、あらゆる病気は食事が原因で起こり、正食(正しい食事)で体質を改善すれば、治る。人は風土に合ったものを食べるべきで、日本人は肉を食べる必要はないと、肉食と乳食を否定しました。

「食養」という食事療法は、牛乳、乳製品、肉類を厳禁している現在のマクロビオティックの直系の先祖で、現在あるほとんどの食事療法と民間療法に影響を与えています。
スローフード、地産地消という考え方のルーツでもありますし、日本で最初に食育を提唱した人とも言われています。
石塚左玄以外で牛乳有害説のキーパーソンだと私が考えているのは、井上正賀(まさよし)です。
井上はもともと農学博士で、大正時代に入ると、栄養の話や健康法、食事療法の一般向け啓発書を書きまくって、売れっ子作家になりました。今のマスコミ学者のはしりで、「中央公論」や「文藝春秋」などの論壇誌でも活躍しています。
大正時代は、それまで医学や生理学の一部だった栄養学が独立した学問として確立して、栄養研究所が設立されました。食べ物と健康との相関関係の研究が非常に盛んになった時代です。
この井上正賀が最大の標的にしたのが牛乳でした。井上はどの本でも、牛乳を論じるときは必ず最初に、「牛乳は本来、牛の子が飲むべきもので、人間には適さない」と主張します。

実は、現代の牛乳害悪論のキャッチフレーズに、「牛乳は牛の赤ちゃんが飲むもので、人間が飲むのは自然の摂理に反している」と、「乳は赤ちゃんが飲むもので、大人になっても乳を飲んでいるのは人間だけ」、この二つのパターンがあります。牛乳を否定する根拠としては余りに単純すぎるだけに、逆にインパクトが強く、「あっ、そうだったのか」とスッと心の中に入りやすい。これを使い出した元祖は、井上ではないかと私はにらんでいます。

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