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第88回 食料クライシスの引き金、それは畜産物の激減

牛乳・乳製品から食と健康を考える会 開催

第88回 食料クライシスの引き金、それは畜産物の激減
日時
平成29年2月6日(月) 15:00~17:00
会場
乳業会館3階 A会議室
講師
東京大学名誉教授 酒井 仙吉
【 出席者 】
「牛乳・乳製品から食と健康を考える会」委員
消費生活アドバイザー 碧海 酉葵
食卓プロデューサー 荒牧 麻子
毎日新聞 記者 今井 文恵
ジャーナリスト 岩田 三代
江上料理学院 院長 江上 栄子
消費生活コンサルタント 神田 敏子
評論家・ジャーナリスト 木元 教子
元日本大学教授 菅原 牧子
ジャーナリスト 東嶋 和子
産経新聞 文化部記者 平沢 裕子
(50音順)
乳業メーカー:広報担当
乳業協会:田村専務理事、本郷常務理事他
専門紙記者
【内容】
今回は、委員の皆様からご要望のあった、輸入配合飼料多給で生産を維持する今日の酪農のあり方に警鐘を鳴らし、食生活を支える基盤が抱える問題を示すべく、これまで獣医学分野で教育と研究に従事された東京大学名誉教授酒井仙吉様に「食料クライシスの引き金、それは畜産物の激減」と題して、専門分野の動物育種繁殖学の立場からご講演をお願いした。
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【 要旨 】
日本人は食生活が改善され長身化したが、中でも畜産物の消費増加が大きく影響した。戦後まで、日本人の食生活はカロリーのほとんどを米から摂取していたが、タンパク質を適切に摂取可能になったことが体格改善につながった。一方、新しい食生活を支える日本の畜産の状況も一変した。酪農は乳量・乳質ともに飛躍的に向上したが、高生産を維持するためには輸入配合飼料に依存せざるを得ない状態にある。結果的に穀物の自給率が大幅に低下したほか、飼料コスト増加や乳房炎の発生増加、乳牛の平均出産回数の減少、廃用の早期化など酪農経営にも影響を与えている。「酪農を楽農へ」を目指し、1)放牧と搾乳ロボットによる省力化、2)休耕田を活用した国産飼料生産者との協力、3)山地酪農などの放牧に適した病気に強い乳牛づくりなど、「酪農の構造改革」を提唱する。

ご紹介にあずかりました酒井でございます。どれほど役に立つかは見当の付かないところもありますが、日頃考えていることを皆さんにお示しをして、批判を受けることによってより良く私の考えも作っていきたいと考えております。
今回、このような内容でお話するには実は伏線がありました。私が最初に居た部屋は、家畜育種学という研究室でした。つまり、家畜と言っても早く言えば乳牛の育種をするという研究室で、私の先輩も後輩も乳牛の改良にたくさん携わっております。最初は先輩から日本の牛はこんなにすばらしくなったということを受けまして、私も授業中、学生に日本の乳牛の能力というのはこんなに改良されたのだよと、しばらく言っておりました。ところが、年をとってきますと、本当にそうかなということがだんだん頭の中に芽生えまして、少し違うのではないかと。本当に日本に合った畜産というのはどうなのだろうかということに思いが至りまして、それからこのような勉強を始めました。
定年間近になってそれを授業で言うと、今十分なのだからよいではないかという学生がとても多く、やはり多くの賛同者を得なければ駄目だということで、定年退官する時に私はもう再就職しないで、ものを書くことにいたしました。その一端をこれからご披露いたします。
農林水産省は、日本の食料自給率は39%で61%は海外依存だと言います。だから、食料というのは危険領域を超えているのだとよく言うわけで、新聞もみんなそう書いているわけです。ところがよく見ますと、そんなことはないのです。例えば家畜、牛・豚・鶏は毎日餌を食べています。それで、その餌のストックはほとんどありません。日本は食料安全保障ということで、早く言えばアメリカに契約した分、あるいは、ニューオリンズにストックした分、貨物船で輸送した分、飼料会社がストックしている分、これ全部備蓄としております。ところが考えてみれば、船の運行が止まったら何もなくなるわけです。おそらく日本の備蓄というのはひと月もたないはずです。さっきお話をしましたが、食料自給率39%ですが、カロリーに占める畜産物の割合というのはすごく高く、最初に打撃を受けるのは、実は畜産物生産なのです。食料クライシスは、まず畜産物の減少から始まる。そういうことで今日お話をいたします。
皆さん意外にご存じのないことを、これから数枚のスライドでお話をいたします。日本人はかつて身長が低い、胴長短足である、そういうことを言われていたのです。これが日本人の特徴だと。それが昭和50年ぐらいからガラッと変わっていくのです。実は昭和30年を過ぎてから変わっていたのですが、それは実は食料が足りないからそうなっただけで、決して日本人としての特徴ではなかったのです。これから数枚のスライドでお示しします。

身長が語る食の激変

そこで一番大きな変化とは何かというと、身長で、これは正確に食の変化を表しているのです。本当によく分かります。それで昭和30年頃の時期を見ますと、ご飯と一汁一菜というのが日本人の食の基本でした。実は江戸時代から日本人の身長が分かっていますが、昭和30年ぐらいまでほとんど変わっていないのです。数センチ背が高くなっただけで、大体157cmぐらいで、ほとんど江戸時代と変わっていないのです。それはなぜか。食事が変わらなかったからなのです。日本は外国から食料を輸入するということはほとんどありませんでした。もちろん米・大豆は多少輸入しましたけれども、それ以外のものは全く輸入しておりません。ですから変わりようがないわけです。江戸時代の身長と、昭和30年ぐらいまでの身長というのは変わらなくて当然なのです。ですから、先ほど言ったようなことが起こるわけです。

身長の推移、小学校入学以降

ところが急速に畜産物を取り入れた食事に変わってまいります。これが時代の背景です。ですから、キーポイントというのは昭和30年以降と以前です。この二つが一つの大きな区分になっていることを、実は身長が非常にクリアに示しております。後で出てきますが、身長は伸びたと言いましたが、脚が長くなったのです。だから昔の人は、脚が短かったのですね。残念ながらそうだったのです。
小学校入学以降どう身長が伸びたかというと、一つは平成14年から25年、二つ目が昭和23年から34年となっています。一見して分かることは平成年代に小学校の生活をした人というのは、男子も女子も全部背が高いのです。もう明らかな違いなのです。一つひとつ細かい特徴を見ていきますと、小学校1年生でもう大体8cmぐらい違うのです。身体測定というのは入学早々の事業ですから、6歳で既にこれだけの差が付いているわけです。
次に気が付くことは、実は昭和3年から14年なのです。これは戦前と考えてください。平成・戦後・戦前・明治時代と考えますと、明治時代は確かに少し身長が低いのですが、こんな差はありません。ほとんど同じように伸びております。これが2番目の特徴です。ですから、さっき食事は変わらないと言いましたが、これが明瞭に示しております。
もう一つ気を付けたいことは、図の赤丸のところは何かというと、身長が止まった時のことを示しているわけです。不思議なことに、ここにも男女差は全然ありません。小学校1年生もありません。小学校6年も身長は男女同じなのですが、それからぐんと差が開いてきます。男子は中学3年生から高校1年生ぐらいでほぼ身長が止まります。女子はというと、中学2年生で大体身長は止まってしまうのです。だから2年ぐらい早く止まるのですね。これは何かというと、実は卵巣が活躍する、精巣が活躍するというのは、女子ではこのあたり。小学校6年生。男子では1年か2年遅れてこのあたりなのです。それで卵巣が活動し始めますと、身長は止まってしまうのです。ところが男子は、小学校6年まで同じなのですが、精巣の働きというのは2年ぐらい遅れてスタートしますから、その後に十分伸びることができるわけです。ここで初めて男女差が出てくるのです。ということがこれから分かります。
もう一つ言えることは、この白い四角と黒丸が戦後生まれ。白丸が戦前なのですが、高校時代にどんどん伸びています。ここに昭和34年と書いてありますが、実は昭和30年代から栄養状態が劇的に変わっているのです。ですから、戦前・戦後生まれで変わらないのですが、ここにあります昭和30年を過ぎますと、途端に身長が伸び始めます。これはさっきお話をしたように、実は脚の長さが長くなったのではなくて、座高が高くなったのですね。

身長の推移、小学校1年生(男女同じ)

さっきも話しましたが、身長の推移というのは男女差は全くありません。これは男子の成績ですが、実は女子も男子も小学校1年の時は同じなんです。昭和14年に文部省で座高調査を始めていますが、戦争中は中断していて、昭和24年から再開されました。昭和20年を基準にして年ごとにどれだけ伸びていったかを示していますが、当時の身長は、どんどん伸びたぶん脚の長さも伸びており、身長差が生まれた大半は実は脚が長くなったということなのです。これが戦前と非常に違うことなのです。ですから、これが座高差ということになるわけですが、身長の伸びの大体6割以上が実は脚が長くなったことによって起こったということが分かります。
それともう一つは平成元年頃。この頃から現在もずっともう伸びていないのです。これは平成21年までしか書いていませんが、その後もほとんど横ばいなのです。これは何かというと、実は食事の変化というのはこのあたりでまた変わっているのです。要するに、この間に食事というのはどんどん栄養状態が良くなっていきます。ところが、ここからは変わらないのですね。しかもこれ、見てください。もう毎年上がっています。これは何かというと年々栄養状態が改善されていったということなのです。急に改善なんかされていなかった。だからお金持ちになって、少しゆとりが出て、いいものを食べたくなる、それをこれは表しているわけです。
それでここで成長が止まるわけですが、この時代は実は何かというと、ここにバブル景気があったのですね。それから実は収入が全然増えていないのです。ですから、収入が増える。食生活が良くなる。収入が増えなくなる。食生活が変わらない。これを身長が非常によく表しております。

身長の推移、高校3年生

これは高校3年生の身長の推移ですが、これも同じです。この時からほとんど、日本人の平均身長は伸びておりません。高校3年生というと、それ以上は伸びないのです。ですから、平均身長なのです。ここで分かることは、ちょうどさっきお話をした平成元年以降、全く身長が伸びていない。それまではやはり急激だったのですね。ですから、ここでも栄養イコール経済。これによって身長の伸びが規定されたのです。しかも今はもう伸びていない。日本人の平均身長というのは、小学校1年の時にグッと伸びたので、ここでグッと伸びたのですが、小学校1年生も高校3年生も、栄養状態が一定になるともうそこからの成長はない。これは非常にはっきりしているわけです。

脚長の割合(脚長/身長)

これを見るとまた面白いことが分かります。身長のうちで脚の長さが何%を占めるかということを表したグラフです。こちらは男子、こちらは女子です。これは何かというと、身長に対する脚の長さです。どんどん長くなる。これは全部脚の長さが長くなったことによって身長が伸びたということが分かります。それで大体中学2年ぐらいでピークに達します。この時期が一番脚の長さが長いのですね。一方、女子ではさきほど言いましたが卵巣の始まりが小学校6年ぐらいとなっています。それが始まるともう脚の伸びは止まってしまいます。つまり脚が長くなれないのですね。
そしてこれは非常に注目すべきことなのですが、男子は中学から高校3年までというのは実はどんどん下がってくるのです。脚の伸びというのはここまでのところで終わってしまうのですが、いわゆる座高ですね。これが伸びるのです。ですからこれが身長にプラスされます。ところが、女子はほとんど伸びないのです。もうほとんど変わらない。つまり脚の長さも座高もほとんど変わらないということがこれから分かります。この傾向というのは実は戦後生まれも平成生まれも、女子では同じで傾向は全く変わりません。ですからこれ、一般的な傾向として考えていいわけです。こんなことから、こんなふうに脚が長くなるというのは、どう考えても栄養としか考えられないと。

全てが身長と体重に反映された

簡単にまとめますと、戦後しばらくというのは昭和30年までで、江戸時代と同じ食事内容であったということが分かります。また昭和30年頃から栄養の質と量が段階的に改善されるということが分かります。小学校1年生で8cm高くなりました。小学1年生というのは、給食も経験しておりませんし、買い食いという習慣もありません。彼らが食べたのは、実は家庭で食べた食事だけです。そうすると家庭の栄養状態の改善が実は小学1年生の身長に表れたということになります。これ全部家庭の栄養なのですね。それがどんどん良くなって改善していくわけです。これ小学校1年生が一番正確に表しているわけです。