牛乳容器の移り変わり

きほん知識

牛乳容器の歴史を知りたいのですが。

ブリキ缶での量り売りわが国で牛乳が一般に販売されるようになったのは明治初め頃。
大型のブリキ缶で運んだ牛乳を「ひしゃく」ですくって5勺(90ml)ずつの量り売りをしていました。その後、明治10年(1877年)頃には1合(180ml)のブリキ缶を使って初めての牛乳配達も行なわれました。

ガラスびんで衛生的に

明治21年頃、「細口ガラスびん」が東京牛込の津田牛乳店で初めて使用され、32年頃には「牛乳専用ガラスびん」が登場。衛生的なガラスびんが増えていきましたが、形や栓の形態はさまざまなものでした。牛乳腐敗事件などをきっかけに、東京警視庁は「牛乳営業取締規則」を改正し、昭和3年(1928年)、殺菌を義務づけるとともに着色びんを禁止し、無色透明の広口びんで紙栓をすることに決めました。今も使われている牛乳びんの始まりです。
厚生省(現厚生労働省)は、昭和26年に「乳及び乳製品の成分規格等に関する省令」を公布し、無色透明のガラスびんの使用を義務化、昭和33年にはびんの口内径を26mm以上と定めました。現在では直径34.1mmの紙栓をするびんに統一されています。容量は長い間1合がほとんどでしたが、昭和45年に学校給食が200mlに変わったのをきっかけに200mlびんに変わりました。びんの口径、太さ、高さはそれまでのものと同じですが、なで肩が、ややいかり肩の形になりました。
近年、牛乳の宅配が見直されるとともに、軽量びんが開発され、導入する乳業メーカーが増えています。
容量は200mlのほか、180mlのびんもあります。また、紙栓に代わり樹脂キャップを導入するメーカーも増えています。

宅配用ブリキ缶(1合)

日本で牛乳用に使われたガラスビンと栓

流通・ライフスタイルにマッチした紙容器

紙で液体を包む、まったく新しい発想の紙容器が現れたのは1938年アメリカのエクセロ社が開発したピュアパックが最初でした。続いて1952年、スウェーデンのテトラパック社が三角形(四面体)のテトラクラシック容器を開発、日本では、1956年(昭和31年)、協同乳業が製造販売を始めたのが最初といわれています。日本の乳業メーカーが本格的に紙容器を使い始めたのは1962年頃から。東京オリンピック(1964年)や万博(1970年)での採用を契機に便利さが認められ、スーパーマーケットの発展、学校給食への牛乳の普及などとあいまって日本全体に急速に広まっていきました。
主な紙容器としては、ゲーブルトップとブリックがあります。LL牛乳のブリック型容器には、紙にアルミ箔がラミネートされ、常温で長期保存できる工夫がなされています。
2001年より種類別牛乳の500ml以上のゲーブルトップ容器上部の開け口の反対側に半円の切欠きを入れ、目の不自由な人でも触れるだけで種類別牛乳であることがわかるようになりました。任意表示なので、すべてにあるわけではありません。
日本では紙容器の割合は約9割です。近年、テトラパック製の胴部が紙で開封口がプラスチックの容器(テトラトップ)において、日本の1群に対応したものが開発され、一部の乳業メーカー(森永乳業、雪印メグミルク)で採用されています。

最初の紙パック テトラクラシック

成型も自由なプラスティック容器

紙容器同様、プラスティック容器は軽くて持ち運びしやすいのが特長です。1990年頃からあるポリエチレン製の容器の他、種類別乳飲料では2002年にポリエチレンテレフタレート(PET)製の容器も登場しています。海外では1960年以降、プラスティック容器が使われ始め、特にアメリカでは大型のガロン(3.78リットル)容器などに多く使われています。

上部の開け口の反対側に半円の切欠き

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